5月11日 世の終わりまで共におられる主

見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。《マタイの福音書 二十八・20》

永遠に変わることなく、常に私たちと共におられるお方がいらっしゃることで、十分である。人生という海には、いくつもの大波が襲い来る。その只中に、揺るぐことのない岩なるお方がいらっしゃる。このお方によって、大波の只中にあっても、うまく乗り越えることが出来るのである。

わが魂よ。「虫やさびで傷物」になり、朽ち果ててしまうような宝に、お前の心が囚われてしまうようなことがあってはならない。お前に、永遠に忠実であり真実であられるお方に、お前の心を占領して頂きなさい。この世は、欺まんに満ちている。また一見、何の変哲もない地面のように見える「流砂」のようである。そこは水分を多量に含んでいるため、やがて崩れ去ってしまう。そのようなこの世の上に、お前の人生を建ててはならない。お前の希望は、救いの岩の上に置かれていることを知りなさい。その岩は、降りしきる雨の中でも、とどろく洪水が押し寄せて来ようとも、不動である。この岩の上だけは、安全である。

わが魂よ。厳かにお前に命じる。お前の宝を、最も安全な宝庫にだけ納めなさい。お前の宝石を、決して奪われることのない場所に蓄えなさい。お前のすべてをキリストの内に置きなさい。お前の全ての愛を、キリストのご人格と結び合わせなさい。お前のすべての希望を、キリストの功績の中に置きなさい。お前の全ての信頼を、キリストの力ある血潮の上に置きなさい。お前の全ての喜びを、キリストのご臨在の中に置きなさい。そうすれば、お前が何かを失ったとしても、何ほどのものでもない。お前の何かが壊されても、平然としていられる。

わが魂よ、次のことを忘れてはならない。この世の花園にある全ての花は、咲いては枯れ、枯れては咲いて行く。その後には、黒く、冷たい大地が横たわるだけの日が来る。同様に、暗黒の「死」はいのちの光を消すが、直ぐにお前のいのちのともし火をも消すに違いない。しかし、ともし火が消えても、太陽の光が射し、お前はその光を浴びることが出来る。それは、何と麗しいことだろうか。

わが魂よ。直ぐに、お前が一切の持ち物を失う、「死」という暗黒の洪水が襲って来るに違いない。それゆえ、お前を離れて一人残すようなことを決してなさらないお方に、お前の心を結び付けなさい。そのお方に、お前自身を託しなさい。濁流のように押し寄せる「死という流れ」を、その方はお前と共に越えてくださる。そして、このお方はお前を、天の御国の岸辺に安全に上陸させてくださる。そこでお前を、永遠に天の御座に座らせてくださるのである。

悩みゆえに悲しめる息子よ。行きなさい。そして、兄弟よりも親密な友に、あなたの秘密を打ち明けなさい。あなたの一切の心配事を、主に託しなさい。主は、決してあなたから取り去られることはない。また、あなたを離れることもない。更に、あなたが主から離れることをお許しになることはない。そうである。「イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。《へブル十三・8》」「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。

わが魂よ、誰が私を見捨てようと、このお方の約束してくださった、このみことばで十分ではないか。

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