彼らは陶器師で、植物および間垣の中に住む人で、王の仕事をするため、王とともにそこに住んだ。 《歴代誌 第一 四・23:英訳》
陶器師は、当時の社会では、上流階級に属する職業ではなかった。しかし、「王」にとって陶器作りに従事する人が必要であった。彼らは単に、粘土から陶器をこしらえる働きに専念しているだけであったが、王室に仕える者の中に数えられていた。
私たちの中にも、主の働きの中の雑用に過ぎないようなことに従事する者もいる。しかし、「王」のためなら何でもする者とされたのである。このことは、大きな特権である。それゆえ、次のような希望を持ちつつ、私たちを召してくださった神の目的に留まることが大切である。「植木鉢の中に横たわるとしても、私たちは翼が銀でおおわれて、きらめく黄金で羽がおおわれた鳩のようである。《詩篇 六十八・13》」
今朝の聖句には、また、別の人たちのことが書かれている。それは、「植物および間垣の中に住む人」である。彼らの仕事は、生け垣を作り、溝を掘る力仕事であり、百姓がするような仕事であった。彼らも都会に住むことに憧れ、そこでの生活や社交場に出入りし、その優雅な暮らしを強く望んで来たことであろう。しかし彼らは、王の働きに従事するため、定められた場所に留まり続けたのである。
私たちの住まう場所は定められている。思いつきや気まぐれで、その場所を離れるべきではない。むしろ、周囲の人々に祝福を注ぐ者となるため、その場所にあって主に仕えることを求めなさい。
これらの陶器師と庭師は、王の友であった。彼らは「王とともに」住んでいたからである。「植物および間垣」に囲まれていたが、「王とともにそこに住んだ」のである。
法律で認められている場所も、また優雅に見えるような職業も、或いはまた、卑しいと思われる職業も、私たちの王であるお方、主との交わりから締め出されている場所も職業も、ない。掘っ立て小屋に行く時も、下町にある集団宿泊所に行く時も、救貧院を訪ねる時も、刑務所を訪ねる時も、私たちは王なる主と共に行く。信仰によって行う全ての働きの中に、イエスが必ず共にいて、私たちと交わってくださることを期待して良い。私たちが主の働きに従事している時、主が私たちに微笑んでいてくださると信じて良いのである。
あなた方、名も無き働き人よ。最下層の泥をこねている人々や、貧困に苦しむ人々の只中にあって、王なる主の働きに従事している者よ。勇気を出しなさい。これまで、堆肥の山の上に宝石が見い出されたことがあった。土の器に、天の宝が満たされて来た。雑草が、尊い花に姿を変えられて来た。あなた方は、王の働きに従事するため、王と共に住みなさい。そうすれば、王が自分の年代記を著す時、あなた方の名前はその中に記されることになる。
注:「救貧院」は、17世紀から20世紀初頭まで、イングランドやウェールズにおいて、経済的に自立できない大人を収容し、仕事を与えていた施設である。
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