6月6日 私は取るに足りない者

ああ、私は取るに足りない者です。 《ヨブ記 四十・4》

創造主なる神の御許から迷い出た、憐れまれるべき罪人よ。今朝のみことばによって、励ましを得なさい。「『私は取るに足りない者』であるがゆえ、神の御前に出ることが出来ない」と、あなたは思っている。

この地上に生きている聖徒の内、「私は取るに足りない者」だと思っていない者は、一人もいない。ヨブも、イザヤも、またパウロも「私は取るに足りない者です」と言わざるを得なかった。事実、彼らは、そのように告白している。であるなら、憐れまれるべき罪人よ、あなたは彼らと同じことを告白するのを、みっともないと思うのだろうか。

神の恵みにより、信仰者には、神に背く罪が取り除かれるという希望がある。しかし、この希望がないとするなら、あなたは自分の力に頼り、その罪をどのように取り除くことが出来るのだろうか。神は、御自身の民が「取るに足りない者」であっても、彼らを愛しておられる。しかし、この愛が無いとするなら、あなたが「取るに足りない存在」であるがゆえ、神はあなたを愛することが出来ないと考えるのだろうか。

この世の交わりからも見捨てられた者よ。イエスのみことばに信頼を置きなさい。イエスはあなたを呼んでいらっしゃる。また、あなたのような者をも呼んでおられる。「正しい人を招くためではない。 / 正しい人を招くためではなく、 / 罪人を招くため、イエスは来られ、あなたを招いている。(ジョセフ・ハート作詞の讃美歌)」

今この時、次のように言いなさい。「主イエスよ。あなたは罪人のために死んでくださいました。私は罪人です。私の上に、あなたの血潮を注いでください。」もし、あなたが自分の罪を告白するなら、あなたは赦される。もし、今心の底から「私は取るに足りない者です。私をあなたの血潮で洗ってください」と言うなら、あなたは今、洗いきよめられる。もし、聖霊の力により、あなたが「いさお無きわれを、血をもて贖い、イエス招き給う、御許にわれ行く《新聖歌№231》」と、心の底から歌うことが出来るなら、あなたは今朝、このメッセージを読んだ後、すべての罪が赦され、そこから立ち上がるであろう。たとい、朝明けには、人間の犯して来たあらゆる罪が、あなたの頭の上に置かれたとしても、夕べには、愛する御子の内にあって受け入れられ、安らかに眠りに就くであろう。たとい、かつては罪の衣を身にまとい、堕落していたとしても、あなたは義の衣で飾られ、天使のように純白にされ、現れるのである。なぜなら「今は恵みの時」だからである。この「」ということばに注意しなさい。「不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます。《ローマ 四・5》」そして、あなたは救われるのである。

主イエスは、最も取るに足りない者を受け入れてくださるお方である。どうか、聖霊があなたに、主イエスにあって、救いに至る信仰を与えてくださいますように。

注:ジョセフ・ハート作詞の讃美歌。日本語には訳出されていない。原題「Come, ye sinners:来れ、汝罪人よ」の一説である。

6月5日へ  6月7日へ   6月の目次へ  「きょうのみことば」へ

コメント