6月29日 イエスにあって眠った人たち

神はまた同じように、イエスにあって眠った人たちを、イエスとともに連れて来られるはずです。《テサロニケ人への手紙 第一 四・14》

世を去った魂が無意識の状態で眠っている、と思ってはならない。

あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。《ルカ 二十三・43》」このイエスのことばは、あの日、共に十字架にかけられ、死に直面していた強盗に対して語られたものである。同じように、死の床に就いている聖徒の耳元で、キリストは同じことばをそっと語ってくださる。亡くなった聖徒たちは、「イエスにあって眠った人たち」である。しかし、彼らの魂は、神の御座の前で、日夜イエスをほめたたえている。彼らの罪をご自身の血潮で洗ってくださったイエスに対し、ハレルヤと賛美をささげているのである。

彼らの亡骸は、草葉の陰で一人寂しく土の中に横たわり、眠っている。この眠りは何を意味するのだろうか。眠りとは「安息」である。「主にある安息」、これが、神の御霊が私たちに伝えようとしておられる考えである。毎晩、眠りの時を持つことにより、肉体は昼の労働から解き放たれ、安息を得るのである。また、眠りの時を持つことにより、内なるいのちは、安息という夏の庭園に入ろうとする。眠ることにより、魂の扉は堅く閉ざされ、不法に侵入して来る全ての者に対し、「暫く待て」と命じる。疲れた幼子が母親の胸で眠るように、疲れ果てた信仰者は、静かに眠るのである。

主の内にあって死ぬ人は、何と幸いであろうか。彼らはその労働から解き放たれ、休息する。彼らの成し遂げて来た働きは、彼らに付き従って行く。彼らの肉体は死を迎え、静かに横たわり、眠りに就いた。神が、彼らに十分な報いを与えるため呼び覚ます時まで、彼らの安息が破られることは決してない。天の御使いが、彼らを絶えず見張り、守っている。彼らは、永遠の神秘に包まれて、隠されている。やがて時が満ち、贖いが完成されるその時、彼らは神の栄光を受け継ぐ。その時まで、眠り続けるのである。

彼らが死の眠りから目覚める時、何と素晴らしいことであろうか! 彼らの肉体が憩いの場所である墓に葬られた時は、力は失せ、からだは着古した衣のようであった。しかし死の眠りから目覚める時、そのような状態ではなくなる。死の眠りに就いた時、額にはしわがあり、顔はやつれ切っていた。しかし、死からよみがえるその時、彼らは美と栄光をまとうのである。それはちょうど、完全に乾燥し、色かたちを失った種が、ちりの中から芽吹き、美しい花を咲かせることに似ている。墓の中で眠り続けた冬の季節は終わりを告げ、からだの贖われる時、即ち復活の春が訪れ、永遠に神の栄光の内に住まう夏の季節へと続くのである。

死は幸いである。その時、神の全能の力により、私たちがこの地上で着ていた仕事着を脱ぎ、朽ちることのない結婚に着る晴れ着をまとわせて頂けるからである。「イエスにあって眠った人たち」は幸いである!

6月28日へ  6月30日へ   6月の目次へ  「きょうのみことば」へ

コメント