兄弟たち、私たちのためにも祈ってください。《テサロニケ人への手紙 第一 五・25》
読者の皆さんに、一年の内この日の朝だけは、主に仕えている者のために祈るという課題に取り組んで頂きたい。私たちは、このことについて、皆さんの思いを新たにして頂くため、長年懇願し続けて来た。クリスチャンホームの家庭礼拝において、この切実な課題を祈って頂きたい。この祈りの要請は、まず使徒パウロによって語られ、今は私たち牧師によって語られている。この聖句に込められている切実な訴えに、皆さんの耳を傾けて頂きたい。
兄弟たちよ。魂を勝ち取るため、福音を語る私たちの働きは厳粛であり、重大である。幾千という人々の幸福と災いがこれにかかっているのである。永遠にどこで過ごすのかというテーマについて、私たちは神に代わり、多くの魂と触れ合うのである。私たちの語ることばは、「死から出て死に至らせる香り」か「いのちから出ていのちに至らせる香り《Ⅱコリント 二・16》」の何れかである。私たちには、非常に重大な責任が課せられている。たとい、最後の審判の時に全ての人が受ける裁きについて、私たちに責任がないことが分かったとしても、私たちを慰めるには小さな憐れみに過ぎない。
キリストの軍隊の将校としての私たちは、特に人と悪魔の憎しみの目標となる。彼らは私たちの隙を狙い、私たちを束縛しようと絶えず働いている。私たちに与えられている神聖な召命のゆえ、あなた方信徒たちが晒されたことのないような幾多の誘惑に、私たちは晒されている。とりわけ、私たち教会指導者を、事ある毎に誘惑することは次のことである。みことばの真理を個人的に味わうことから遠ざけるのである。むしろ、教役者としての立場から、また働きの一環として、みことばの学びに取り組むように仕向ける。私たちは多くの困難な問題に直面し、私たちの知恵でも解決せず、途方に暮れることがある。非常に悲しむべきことであるが、信仰の後退者を目の当たりにし、私たちの心は傷つく。何百万もの人々が滅んで行く姿を目の当たりにし、私たちの霊は深く沈む。私たちは、説教によってあなた方に益を与えることを願っている。私たちは、あなた方の子どもたちの世代にも、祝福が及ぶことを望んでいる。私たちは、聖徒にも罪人にも、両者にとって有益な者となることを求めている。それゆえ、愛する友よ。私たちのために神にとりなして欲しいのである。
あなた方の祈りの助けがないなら、私たちは何と惨めな存在であろうか。しかし、あなたがたの祈りの内に生きることが出来るなら、私たちは何と幸いな存在であろうか。
あなたがたは霊的祝福を受けるために、私たちから目を離し、主に目を注ぐ。しかし、その祝福は多くの場合、神の働き人を通して与えられて来たに違いない。それゆえ、主によって、私たちが福音の宝を内に満たす土の器となることが出来るように、繰り返し繰り返し、主に祈って欲しいのである。
私たち宣教師、牧師、伝道者及び神学生のすべてを代表し、イエスの御名によって、次のように懇願する。「兄弟たち、私たちのためにも祈ってください」と。
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