全地よ。神に向かって喜び叫べ。御名の栄光をほめ歌い、神の誉れに栄光を帰せよ。《詩篇 六十六・1~2》
神を賛美するかしないかは、私たちの自由意志に任されていることではない。
神は、賛美を受けるにふさわしいお方なのである。全てのクリスチャンは、神の恵みを受けている。それゆえ、日々神を賛美するよう定められている。
私たちは、人間の権威や当局からの命令は受けてはいない。事実その通りである。人から「日毎に神を賛美せよ」とか、「毎日或る一定の時間、賛美を歌い、感謝をささげよ」などと命じられていない。しかし、私たちの心の板に刻まれた律法によれば、「神を賛美することは正しい者にふさわしいことである」と教えられるのである。石の板に刻まれた戒め以上に、或いは雷鳴のとどろくシナイ山頂から直接イスラエルの民に手渡された律法以上に、この心の板に刻まれた賛美についての命令は、力強く私たちに迫って来る。
そうである。神を賛美することはクリスチャンの務めである。単に、賛美が楽しいから歌うのではない。クリスチャンの債務である。生涯をかけて行い続けなければならないことである。絶えず嘆き悲しむ者よ、この点に関して「私は罪を犯していない」などと思ってはならない。或いは、「神への賛美を歌わなくても、私の神への義務を果たすことが出来る」などと妄想してもいけない。生ける限り、主の御名をほめたたえるために、愛の絆によって、あなたは主に強く結ばれている。あなたの口には、いつも主への賛美がなければならない。神を賛美し、神の栄光をほめたたえるため、あなたは救われ、神の祝福に与っているのである。「わたしのためにわたしが形造ったこの民は、わたしの栄誉を宣べ伝える。《イザヤ 四十三・21》」
農夫である神は、あなたが「イエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実《ヘブル 十三・13》」を、手に携えて持って来ることを期待する権利のあるお方である。しかし、あなたが神を賛美しないのなら、あなたはまだその実を結んでいないのである。それゆえ、賛美の歌をあなたの口に上らせるようにせよ。讃美歌集を手に取り、感謝の心で、高らかに主をほめたたえなさい。立ち上がりなさい。「神に向かって喜び叫べ。」朝明けごとに感謝の声を上げ、日の沈むたびに賛美の歌声を響かせなさい。あなたの賛美でこの地を覆い、美しい調べによって地を包みなさい。神は、必ず天からあなたの感謝に耳を傾けてくださり、あなたの賛美の歌声に聞き入ってくださる。
「たとい何があろうと私はあなたを愛し、心より愛し続け、 / あなたへの賛美の歌をささげます。 / あなたは私の愛する神であられ、 / 私を贖ってくださった王であられるから。」
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