神よ。私にきよい心を造り、揺るがない霊を私のうちに新しくしてください。《詩篇 五十一・10》
信仰から離れた者の内に、僅かでも「焚き落とし」のような「いのちの輝き」が残っているなら、その人は回復を求めてうめくだろう。その人の信仰が再び新たにされるには、回心の時と同様、恵みの働きが必要である。
回心の時、悔い改めが必要であった。信仰が再び新たにされるには、もちろん悔い改めが必要である。私たちは、先ずキリストのもとに来て、信仰を求めた。今も同じように、私たちをイエスのもとに導くことが出来るのは、恵みだけである。私たちは救われた時、不安な気持ちに終止符を打つため、いと高き方のみことば、愛するお方の口から出る一つひとつのみことばを求めた。私たちは現在、罪を犯したと自らの心が責められる時も、いと高き方のみことば、愛するお方の口から出る一つひとつのみことばが必要である。初めの救いの時、聖霊の力が実際に力強く働くのを感じた。その初めの時と同じように、聖霊の力が実際に働かなければ、誰も刷新されることはない。救いも、刷新も、偉大な働きである。血肉は、これまでも聖霊のこの働きを妨げて来たが、今も同じように、刷新の働きを妨げるのである。
クリスチャンよ。あなたという人間は弱い者である。このことのゆえに、神に熱心に助けを求めなさい。これを真剣に祈る理由としなさい。ダビデは自らの無力を感じた時、手をこまねいていることもなければ、また唇を閉じたりすることもなかった。恵みの御座に駆けつけ、次のように祈ったことを忘れてはならない。「神よ。私にきよい心を造り、揺るがない霊を私のうちに新しくしてください。」自分一人では何事も出来ないという教えを、あなたが眠りこけても良いという理由や、怠惰であっても良いという理由にしてはならない。そうではなく、その理由によってあなたに拍車がかけられ、イスラエルの力ある助け主のもとへ、熱心に駆けつけるようにしなさい。あなたが命乞いをするように、「神よ。私にきよい心を造り、揺るがない霊を私のうちに新しくしてください」と、神に嘆願する恵みが得られますように。神に向かい、真剣にこの祈りをささげるなら、神は必ず御業を成してくださる。そのことによって、自らの誠実さを証明することになる。
祈りに励みなさい。神のみことばに立って生きなさい。あなたから主を追い出してしまった肉欲を殺しなさい。罪が再び頭をもたげないよう警戒しなさい。主は、ご自身の定められた道をお持ちである。道の傍らに座しているなら、主がお通りになる時、あなたには準備が出来ているだろう。消えかけてしまった恵みを養い育てることになる、神の祝福に満ちた命令を行い続けなさい。すべての力は、主から来る。このことを知り、「揺るがない霊を私のうちに新しくしてください」と叫び求め続けなさい。
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