11月1日 家にある教会

あなたの家にある教会へ。《ピレモンへの手紙 2節》

あなたの家には教会があるだろうか。両親や子供、友人が全て、その教会のメンバーになっているだろうか。まだ回心していない者がいるだろうか。

ここで立ち止まり、この質問を思い巡らしてみよう。私自身は、その「家にある教会」のメンバーだろうか。家庭の最年長者から最年少者に至るまで、全員が救われているなら、父の心は大きな喜びで踊り上がり、母の目は聖なる涙で満たされるだろう。この大いなる恵みを求めようではないか。主が全員を救ってくださり、「家にある教会」のメンバーになるまで、祈り続けようではないか。

ピレモンは、自分の家族の者が全員救われることを心から望んでいたに違いない。しかし、その願いは、初めから十分に叶えられたわけではない。彼にはオネシモという悪いしもべがいた。オネシモは、主人であるピレモンに悪事を働き、逃げ出した。主人ピレモンは祈った。祈りの中で、この悪いしもべの後に追いすがって離れなかった。遂にオネシモは、神の御心によりパウロの説教を聞くように導かれた。パウロの説く福音に深く心が触れられ、救われた。そして、主人ピレモンの家に帰って行くことになった。忠実なしもべとなって帰っただけではなく、愛する兄弟として、ピレモンの家にある教会の一員となって帰った行ったのである。

今朝、回心していないしもべや子どもがいて、まだ家にある教会のメンバーになっていないだろうか。彼らが家に帰る時には、恵みによって回心を経験したという良い知らせを聞けますように。その知らせを聞き、家の者すべての心が喜びに溢れることが出来ますように。今朝特別に、この祈りをささげようではないか。

私たちの家に、そのような「家にある教会」があるだろうか。あるなら、私たちはその教会を秩序正しく整えようではないか。全員が、神の御目にかなうよう行動しようではないか。日常生活のごくありふれた出来事の中に、聖化や勤勉を学ぶ機会、優しさや誠実さを学ぶ機会と捉え、動こうではないか。教会には、普通の家庭以上のことが期待されている。「家にある教会」でささげる家庭礼拝は、敬虔で、心からささげるものでなければならない。家庭内での互いの愛は温かく、途切れることのないものでなければならない。外部の人に対して行う行為は、より聖潔で、キリストのようなものでなければならない。

「家にある教会」のメンバーの数が少ないからと言って、教会全体のリストから除外されることを恐れる必要はない。聖霊は、この「家にある教会」を、霊感による記憶の書物の中に記し、登録してくださったからである。

教会として今、普遍的な教会のかしらである主イエス・キリストの御前に近づこうではないか。主の御名の栄光のために、人々の前で輝くことの出来る恵みを与えてくださいと、主に懇願しようではないか。

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