1月18日 ご自分について説き明かされる主

それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。《ルカの福音書 二十四・27》

エマオ途上の二人の弟子は、非常に有意義な時を過ごしながら、家路に着いていた。彼らの道連れとなってくださったお方は、最も優秀な大学教授であり、また類い稀な注解者である。このお方の内には、全ての知恵と知識の宝が隠されている。主イエスはへりくだって福音の説教者となられ、二人の聴衆を前にして、ご自身の召命を果たすことを恥とはしなかった。今日においても、主はたとい一人であっても、その人の教師となることを拒まれることはなさらない。このようなに優れた教師と道連れになることを求めよう。主が私たちの知恵となってくださらなければ、私たちは決して救いに至る知恵を得ることはないからである。

この類い稀な教師である主イエスは、この時、全ての本の中で最上のものを教科書としてお用いになった。新しい真理を啓示することもできた。しかし、いにしえの時から書かれている真理を、説き明かされることをお選びになった。主は完全な知恵を働かせることにより、最善の教授法が何なのかをご存じであった。それは、モーセの書や預言者たちの書に目を向けることである。そのことにより、知恵に至る最も確実な道は、沈思黙考することでもなく、道理をわきまえることでもなく、また人の書いた本を読むことでもなく、神のみことばを深く思い巡らすことであると、主はお示しになったのである。天からの知識によって霊的に富むための最短の道は、この聖書というダイヤモンド鉱山を掘ることである。また、この天の海という聖書から真珠を集めることである。イエスが他の人を富ませようとなさった時、聖書という石切り場でお働きになったのである。

世にも幸いなこの二人は、最善の主題について考えるように導かれた。イエスご自身が、自らのことについてお語りになり、「ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた」からである。即ち、ダイヤモンドであるお方が、聖書というダイヤモンド鉱山から、ご自身についてのみことばというダイヤモンドを掘り起こされたのである。これ以上に素晴らしいことがあるだろうか。さながら、家の主人が、自分の家の戸の鍵を開け、山海の珍味を並べた食卓に客を沢山招くようなことであった。或いは、畑に宝を隠した主人が、その宝を探し当てようとしている者たちを、宝のありか迄案内したようなことである。

私たちの主は、当然のことながら最も麗しい話題を論じようとなさった。イエスご自身のご人格と御業に優るテーマはないことを、主は証明なさったのである。私たちはこの点に目を向けながら、常に聖書のみことばを探り求める必要がある。

愛する主よ。イエスから聖書を学ぶ恵みを得させてください。イエスは、私たちの教師であると同時に、私たちの学ぶべきみことばなのです。

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