1月28日 キリストにあって完全な者

すべての人を、キリストにあって完成した者として立たせるためです。《コロサイ人への手紙 一・28》

キリストにあって完成した者」とは、「キリストにあって完全な者」とも訳せるギリシア語である。

「私自身は完全な者ではない」と、魂の内で感じていると思う人よ。日ごとに、その感情を魂の内に深く覚えていることであろう。目からこぼれる一粒一粒の涙には、「不完全」という嘆きが込められている。口をついて出て来る、激しく、荒々しい言葉に、「不完全」という不平が含まれる。ほんの僅かな時でも、あなたの心の内に「私は完全な者である」などと、夢想だにしないであろう。しかし、聖書は言う。この悲しむべき思い、「私は不完全な者である」という自覚を慰めることがある。何か。「キリストにあって完全な者」という真理である。神の目には、あなたは「キリストにあって完成した者」として映っているのである。不完全と思える今のこの時でも、あなたは愛する御子の内にあって受け入れられているのである。

今のこの時でも、「キリストにあって完全な者」という真理の他に、もう一つの慰めに満ちた真理がある。将来実現する「完全な者」という意味である。これは、全ての神の子たちに確実に起こることである。信仰者から、一つひとつの罪の汚れがすっかり取り除かれる時を期待しながら待ち望むことは、喜ばしいことではないだろうか。「しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった《エペソ 五・27》」姿で、信仰者は御座の前に現れるのである。キリストの教会はその時、全知全能のお方の目にさえ、傷やしみも何一つ見い出せないほど純潔な者に映るのである。聖なる者、栄光に輝く者となるのである。それゆえ、あのハート氏の言った次のことばも、真理を逸脱しているものではないと言える。

「救い主の衣を身にまとい / 聖なるお方のように聖なる者とされる」

キリストにあって完全な者:Perfect in Christ Jesus」。わずか4文字のことばに、深遠な真理が込められている。御座の前に現れるその時こそ、この真理を私たちは味わい、その幸いを十分に感じるのである。その時初めて、私たちはイエスの救いの高さと深さを完全に理解するのである。そのことを思うなら、あなたの心は喜び躍らないだろうか。真っ黒なあなたがいつか純白にされ、汚れたあなたがいつか洗いきよめられる。主よ。何と驚くべき救いでしょうか。

キリストは、虫けら同様の人を、天使のように造り変えてくださる。キリストは、黒く傷のある者を取り、栄光のうちに、聖く比類なき者としてくださる。比類なき天使セラフィムの友となるのにふさわしく、美しい者としてくださるのである。

わが魂よ。立ち上がれ。そして主に賛美をささげなさい。「キリストにあって完全な者」という、この祝福に満ちた真理のゆえに、主に感謝をささげなさい。

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