1月25日 信仰によって律法を確立する

それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。決してそんなことはありません。むしろ、律法を確立することになります。《ローマ人への手紙 三・31》

信仰者が神の家族に養子として迎えられるその瞬間、信仰者と古いアダムとの関係は終わり、また信仰者とモーセの律法との関係は終わりを告げる。そしてその時、信仰者は新しい契約の中に入れられ、またキリストの律法の中に入れられる。

信仰者よ。あなたは神の子どもである。即ち、天の父に従うことが、あなたの第一の義務となったのである。あなたは奴隷の霊とは無関係になった。奴隷でなく、神の子だからである。そして今や、あなたは神に愛されている子であるがゆえ、御父が願っておられることの内、最も小さな願い、また天の父の御心のごく些細な点にまで従う義務がある。御父は、聖餐式と洗礼の聖礼典を守るよう、お命じになっているだろうか。この二つをなおざりにすることは、大きな危険を冒すこととなり、御父に背くことになるになる。御父は、あなたにイエスの御姿を求めることをお命じになっているだろうか。キリストを求めることが、あなたの喜びではないだろうか。

イエスはあなたに、次のようにおっしゃっているのではないだろか。「あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。《マタイ 五・48》」それならば、モーセの律法が命じているからではなく、救い主がお命じになっているがゆえに、あなたは聖潔が完成するように努めるだろう。救い主は聖徒に、互いに愛し合いなさい、とお命じになっているだろうか。それならば、そのみことばを行いなさい。モーセの律法が「あなたの隣人を愛しなさい」と言っているからではなく、イエスが「もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです《ヨハネ 十四・15》」と言われたゆえ、そのようにしなさい。そして、次の命令こそ、イエスがあなた方にお与えになった命令である。「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。《ヨハネ 十三・34》」あなたは、貧しい人に施しをするように命じられただろうか。それならば、その通り行いなさい。施しが避けることのできない重荷であるからではなく、イエスが「求める者には与えなさい《マタイ 五・42》」と教えられているゆえ、そうしなさい。聖書は、「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい《申命記 六・5》」と言っているだろうか。その戒めを見つめて、次のように答えなさい。「おお、戒めよ。キリストは既に全ての戒めを成就なさった。それゆえ私は、救われるために戒めを実行する必要はない。けれども、私は喜んで戒めに従う。なぜなら、今や、神は私の父であり、御子が御父に従われたように、私が御父に従うことを望んでおられるからである。」

どうか聖霊があなたを、あなたの心に迫り来るキリストの愛の力の虜にしてくださいますように。そしてあなたを、次のように祈る者とならせてくださいますように。「私にあなたの仰せの道を踏み行かせてください。私はその道を喜んでいますから。《詩篇119・35》」

恵みは、聖潔の母であり、養育者である。決して罪を犯すことを許容するためにあるのではない。

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