1月30日 キリストの中で御国を受け継ぐ

またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。《エペソ人への手紙 一・11》

イエスが私たちにご自身をお与えくださった時、ご自身に属する全ての権利と特権をも私たちにお与えくださったのである。今、主は永遠の神であり、至高の権利をお持ちである。被造物が「その権利は私のものである」と主張するならば、それは完全に偽りであり、また、被造物がその権利に触れようものなら、命を失うほどのものである。イエスは正に、そのような神である。けれどももう一方で、神と人との仲介者であり、新しい契約を結んでくださったお方である。そして、私たちを共同の相続人としてくださったのである。死に至るまで従順であられたイエスは、私たちに栄光をお与えくださった。その栄光は全て、キリストの内に置かれた全ての者が、キリストと共に受け継ぐべき財産なのである。主は彼らのために神の御心を成し遂げられた。主は私たちの身代わりとなって、神の御心を成し遂げられたのである。主は栄光の中に入っておられるが、それは主ご自身だけのためではない。「イエスは、私たちのために先駆けとしてそこに入り、メルキゼデクの例に倣って、とこしえに大祭司となられたのです《へブル六・20》」と書かれているからである。主は、神の御前に立っておられるのだろうか。「キリストは、本物の模型にすぎない、人の手で造られた聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです。そして今、私たちのために神の御前に現れてくださいます《へブル九・24》」と書かれている通りである。

信仰者よ。次のことを考えてみなさい。あなた自身の功績により、天の御国に何らかの権利があるのだろうか。皆無である。それは、キリストの内にのみある。あなたの罪が赦されるのは、キリストの血潮による。あなたが義と認められるのは、キリストがあなたの義となってくださったからである。あなたが聖とされるのは、神がキリストをあなたの聖とされたからである。あなたがつまずかないのは、キリスト・イエスの中にあなたが保たれているからである。そして、あなたはやがて完全な者とされるが、それはあなたがキリスト・イエスの内にあって完全な者とされるからである。

このように、イエスはあがめられるべきお方である。全てはキリストの内にあり、全てがキリストによって成し遂げられるのである。こうして、私たちは御国を受け継ぐ資格を確かに頂いたのである。これは、キリストの中で成し遂げられ、キリストの中で与えられた権利であり、特権である。このように、一つひとつの祝福は、キリストの中で更に麗しいものとなり、天の御国さえ更に輝きを増すのである。私たちの最愛のお方である「イエスの中で」、私たちは全てを得たからである。

神が分け与えてくださる富を、価値のあるものかどうか見定めてから頂こう、という人がどこにいようか。いるはずもない。キリストの富の長さ、高さ、広さ、大きさを計ってみなさい。キリストの宝を、天秤ばかりに乗せて計ってみなさい。そして、聖徒に与えられている宝の総数を数え上げてみなさい。キリストの喜びという海にもぐり、底まで行ってみなさい。神がご自身を愛する者のために備えられた、無上の喜びを体験して知ってみようと望んでみなさい。キリストがお持ちになっているものに限りがあるなら、それを越えてみなさい。そして更に、選ばれた者が受け継ぐようにと定められている相続財産に限りがあるなら、その端にまで行き、そこを越えている姿を思い描いてみなさい。

すべてはあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものです。《Ⅰコリント 三・22~23》」

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