モアブとヤシュビ・ラヘムを治めたヨキム、コゼバの人々、ヨアシュ、サラフ。この記録は古い。《歴代誌 第一 四・22》
「この記録は古い」と書かれているが、私たちの魂に喜びを与える尊い事柄は、更に古い。守銭奴がお金を数え上げるように、丹念に、その尊い事柄を数え上げ、そして語り伝えようではないか。
第一に、父なる神の「主権による選び」は、遥か昔に記されたのである。父なる神は、私たちを永遠のいのちに選んでくださった。父なる神が私たちを永遠のいのちに選んでくださった日は、非常に古い。その日は、人知を遥かに超えるほど古いのである。私たちは、この世界の基が置かれる前から、キリストの内に選ばれていた。
第二に、「永遠の愛」が遥か昔に記され、この選びと共に働いた。私たちが選ばれたのは、神のご意志だけではなく、神の愛も関係していたのである。父なる神は、この世界の基が置かれる前から、私たちを愛してくださった。このテーマは、日々私たちが祈り、黙想すべきものである。
第三に、「永遠のご計画」が遥か昔に記されたのである。父なる神は、私たちを生まれながら御怒りを受けるべき子から贖い、救い出し、この世から分離してくださった。最終的に私たちを、栄光を受け継ぐ者としてくださった。この「永遠のご計画」は、永遠の昔に定められ、変わることのない神の愛と絶対的な主権と共に、効果的に働いている。
第四に、「契約」が遥か昔に記されたのである。この契約も、常に永遠に続くのである。契約の仲介者となったイエスは、永遠の昔からおられる。主は、天の星々が輝き始める遥か以前から、ご自身の内にあって、選ばれた者たちが永遠のいのちにあずかるよう、お定めになった。こうして、神と、御子の内にある選ばれた民との間に、幸いな契約が結ばれるに至ったのである。そしてその契約は、永遠の未来に至るまで、彼らの救いを保障する基礎となっている。
これらの古い事柄に精通するのは、良いことではないだろうか。反対に、これらの古い事柄が、クリスチャンだと公言している多くの人に無視され、拒否されていることは、実に情けないことではないだろうか。もし、彼らが自らの罪について更によく知るならば、このすばらしい恵みを一層感謝するのではないだろうか。
私たちは今夜、次のように歌い、主をほめたたえ、主をあがめようではないか。「尊い血により救われた罪人。 / その人こそ、恵みによる普及の業績である。 / その恵みは、愛の流れから出ている。 / 私がその愛の流れをたって行くと、 / 湧き出る泉にたどり着いた。 / それはヤハウェなる神である。 / 神の聖なる御胸の中に見えるのは、 / 私の内に注がれる永遠の愛の思いである。」
コメント