どうか私に教えてください。どこで羊を飼っておられるのですか。昼の間は、どこでそれを休ませるのですか。《雅歌 一・7》
このみことばは、キリストを慕い求めている信仰者が心から望んでいることを言い当てている。同時に、その信仰者が、キリストとの絶えざる交わりに飢え渇き、その交わりを切望している姿も表現している。
「あなたは、どこで羊を飼っておられるのですか。」あなたの家の中ですか。もし、そこであなたにお会い出来るのなら、私はあなたの家に参ります。密室での祈りの中で、あなたにお会い出来るのですか。それなら、私は休むことなく祈ります。みことばの中で、あなたにお会い出来るのですか。それなら、私は熱心に読みます。礼拝の集会の中で、あなたにお会い出来るのですか。それなら、私は心を尽くしてあなたに礼拝をささげます。
「あなたは、どこで羊を飼っておられるのですか。」私に教えてください。あなたが羊飼いとして立っておられる所なら、そこがどこであろうと、羊である私はそこに伏します。私の必要を満たすことが出来るのは、あなたを置いて他にいないからです。あなたを離れては、私が満ち足りることはないのです。わが魂は、あなたの臨在を慕い求め、飢え渇いています。あなたの臨在により、魂が癒され、回復されるのです。
「昼の間は、どこでそれを休ませるのですか。」夜明けであろうと、昼であろうと、私が休息出来る場所は、ただあなたのおられる所であり、あなたが愛しておられる羊の群れのいる所以外にはないのです。わが魂は、神の恵みによって与えられる安息の中にのみ、休みを見出します。それは、あなたの中に憩うことです。渇き切った地にある大きな岩の陰は、どこにあるのでしょうか。なぜ、私はその岩の下で休んではならないのですか。「なぜ、私は群れから離れる羊のように、あなたが飼っておられる羊から離れなければならないのですか。」あなたには、共に歩む友がいます。私もその一人に加えてください。サタンは私に、「お前はふさわしくない、無理だ」と言います。そうです、確かに私はふさわしくない者です。にもかかわらず、あなたは私を愛してくださっています。あなたの愛のゆえ、私がふさわしくないということは、あなたと私との交わりを妨げる障害にはならないはずです。確かに、私は信仰が弱く、誘惑に陥りやすい者です。私はそのような者だからこそ、あなたが群れを養っておられる所にいつもいなければならないのです。また、憩いの水のほとりに安全に導かれなければならないのです。
なぜ、私はあなたと、あなたの群れから離れなければならないのでしょうか。そうです、主よ。そのようなことはあり得ないのです。けれども、あなたと、あなたの群れから離れてはならない理由は、数多くあります。イエスが私に「来なさい」と招いておられるのです。イエスがわずかな時でもご自身を隠されるなら、私は主のご臨在を更に熱心に慕い求めるようになります。 私は今、主から離れていたことを嘆き、悲しんでします。主は再び、あの隠れ家のような場所へと私を導いてくださいます。イエスの飼っておられる羊たちが、焼けつくような太陽から守られている、あの隠れ家へと。
2月2日へ 2月4日へ 2月の目次へ 「スポルジョンの朝ごとに、夕ごとに」へ
コメント