たとえ死の陰の谷を歩むとしても、私はわざわいを恐れません。 / あなたがともにおられますから。 / あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。《詩篇 二十三・4》
青木先生の信仰生涯は、戦いの連続でした。それは、あたかもボールのようでした。或る時は、悪魔が先生を床に叩き付けたようなこともありましたが、そこにイエスさまが共におられて、先生を上に跳ね上げさせてくださいました。先生は以前よりも更に高く上げられました。青木先生を打ち負かそうと戦って来た悪魔は、最近こう言っていることでしょう。「青木牧師はどうした? 死んだのかい? この頃、あいつを見ないけど……。」先生は、確かに死の陰の谷を歩みました。でも、そこにも主イエスさまが共におられて、青木先生を天の御国まで引き上げてくださいました。青木先生は今、天の御国のイエスさまのみもとで、永遠の安息を得ています。
青木 恵牧師は、2023年1月4日に、天のイエスさまのもとに凱旋しました。93歳でした。
青木先生を追悼するため筆を執ろうと思うに至った理由は、5つあります。
第1は、青木先生を通して働かれた復活の主イエス・キリストの御業、祝福、恵みを記録することにより、主イエスさまに全ての栄光がささげられるためです。
第2は、先生との交わりの中で頂いた数々の恵みや祝福をお分かちしたいからです。確かに、イエスさまは青木先生を通して働かれました。主が良くしてくださった恵みや祝福を忘れることなく、書き留めたいと考えました。
第3は、青木先生に関係して来られた方々に、少しでも慰めが与えられることを願ったからです。一人のクリスチャンであり、先生と同じように主と教会とみことばに仕える者として、自分を通して主が働いてくださることほど光栄で名誉で恐れ多いことはない、と私は考え、そうなりたいと努力しています。「あなたを通して主が働いておられますね」と真実に語られることほど慰められる言葉はないのですが、同時に、主の御前に「ふつつかなしもべです」と言うしかない者であることも承知しています。主イエスさまは、青木先生を豊かにお用いになりました。主がお用いになりやすい神の人であり、聖霊の器でした。(主イエスさまが、どのように青木先生をお用いになったのかは、「1.略年表」に添えたエピソードで紹介しています。)
第4は、先生の伝道牧会を書き留めることが出来るのは、傍で仕えさせて頂いた私以外にはいないのではないかと思ったからです。
第5は、これを記すことが青木牧師への最後のご奉仕だと思ったからです。(記録するに当たり、注意すべきことは次のことです。決して美化したり、誇張したりすることなく、有り体に綴ることです。)
青木先生から教えられ、訓練されたことの1つに、次のことがあります。「人の記憶は当てにならないから、記憶が定かなうちに書き留めておきなさい。」これから綴る内容のほとんどは、それらの記録がもとになっています。ですから、大方は正確です。中には、私の記憶を辿るものもありますので、数年の誤差が生じている場合もあるかと思いますし、更には、私が前橋教会に行くまでの1988年以前は、推察の域を出ませんので、不正確です。ご容赦ください。(正確な情報をお持ちの方は、御面倒でも、当ホームページの問い合わせフォームにて、お教え頂けますと大変感謝です。)
この記事を読んでくださるお一人おひとりの上に、主の恵みと平安が豊かにありますように。そして、父なる神に全ての栄光がささげられますように。
2024年 12月30日 倉渕の寓居にて (2025年2月25日 追記)
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