※4 1990(平成2)年8月

追悼 青木 恵牧師

(写真は、長屋 勇先生です。)

青木先生は、東京福音クルセードという超教派の伝道聖会を開催する実行委員のメンバーの一人でしたが、表舞台に出ることなく、影で奉仕をなさっていました。講師のチョー・ヨンギ牧師のメッセージ中に、実行委員の先生方は、ステージ上、斜め後方に設置されている椅子に座るのですが、青木先生はそこに座ることを大変嫌っていました。1990年のこの時は、東京の長屋先生(当時、アッセンブリー 志村教会牧師)や他の牧師方から、次のように誘われました。「青木先生、ステージの椅子に座ってくださいよ。何もしなくていいですから、ただ座っているだけで良いから、ステージに上がってください。」何度も誘われたので、「わかりました」と言って承諾しました。「何もない、ただ座っているだけでいい」と安心して、椅子に座っていました。

チョー先生のメッセージが終わった後、献金の時が来ました。長屋先生が、そのセッションの司会をなさっていましたので、献金をささげる前の祈りを、ステージ上に座っている先生方の中から誰か一人指名しなければなりません。長屋先生は何を思ったのか、次のように切り出しました。「きょうは、前橋から青木先生が来られています。青木先生、お祈りをお願いします。」青木先生は立つ気配がありません。それもそうです。「座っているだけで良い」と、当の長屋先生との約束ですから。周りの牧師先生方が心配して、青木先生の腕に触れながら「先生、お祈りですよ」と小声で教えてくださいました。それでも状況が全く飲み込めません。何人もの牧師方の促しがあり、やっと立ち上がり、主に祈りをささげました。

後日、この聖会のメッセージテープを聞いた埼玉県大宮市、熊谷市に在住の2人の女性が、その場でイエスさまを受け入れ、救われました。けれども、自分たちの行くべき教会が分からないので思案していました。すると、司会者が「きょうは前橋から青木先生が来られています。青木先生、お祈りをお願いします」と言うので、2人の女性は電話帳を調べ、前橋の青木先生の教会に電話をしました。後日、青木先生と会うことが出来ました。これ以降、2人は信仰生活に入りますが、1人の姉妹の親族が次から次へと救われて来ました。やがて、「大宮に枝教会を!」という祈りが積まれるようになりました。 こうして後から振り返ると、長屋先生はイエスさまに用いられたことが分かります。青木先生を通して、イエスさまが大宮での開拓伝道をお始めになるきっかけを作ったからです。「きょうは前橋から青木先生が来られています」という言葉によって、主は青木先生を大宮での開拓伝道にお用いになったのです。そして2年後の1992年に、開拓記念礼拝を主にささげることができました。

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