5月16日 信仰によって勝利を得よう!

これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。《コリント人への手紙 第一 十・11》

出エジプトしたイスラエルの民が、なぜ神さまの裁きを受けたのかという理由は、世界が終わろうとしている時代に生きている私たちへの教訓とするためです、ときょうのみことばには書かれています。

イスラエルの民は、荒野で大きな試練に会いました。今日の私たちも、荒野のような人生の道を歩みながら、試練にあいます。イスラエルの民は偶像礼拝をしたために、試練を受けました。彼らは絶えず偶像を礼拝しました。そうして数多くの人々が、ウィルス性の病気で死んだり、神さまの厳しい裁きを受けたりしました。

今日も、私たちが偶像礼拝をすることは、厳しく禁じられています。クリスチャンは、人が作った像を拝むような偶像礼拝はしません。が、聖書は私たちに警告していることがあります。それは、貪欲を持つことが偶像礼拝だということです。「むさぼることは偶像礼拝です《コロサイ三・5》」と言っています。私たちがイエスさまよりも、物やお金、有名になることや快楽を愛すれば、それが偶像礼拝となって、私たちを救いの道からそらせ、イエスさまとのいのちの交わりを私たちから盗み、私たちを殺し、滅ぼすのです。それゆえ私たちは、何としても偶像から遠ざからなければなりません。

またイスラエルの男は、モアブの女と不品行を行い、神さまの裁きを受け、1日に2万3千人の男が死ぬことになりました。今日も私たちは、地上で生きている間、不品行とぜいたくな生活をする誘惑を受けています。世界は今、どこへ行っても、ぜいたくな暮らしをしています。あらゆる快楽を得ようと、乱れに乱れています。私たちはこのような流れに染まらずに、絶えず信仰による戦いに勝利して行かなければなりません。

またイスラエルの民は、主をためしました。彼らは、「神さまなら、こんなことは出来るのはあたりまえだ」と神さまを何度もためしたのです。ですから、数多くの人々が燃える蛇という毒蛇に咬まれて死にました。私たちがイエスさまを信じるならば、どんなことがあってもイエスさまから目を離さず、信仰を持ち続けなければなりません。この世の人たちが熱心に求めている快楽や自己満足、欲望を求めてはいけなのです。

またイスラエルの民は、神さまに恨みごとを言い、不平を言うことで、神さまの恵みを捨てました。恨みごとを言うことや不平を言うことは、百害あって一利なしです。恨みと不平は私たちの心を否定的にし、すぐ破滅させます。ですから私たちはどんなに生活が苦しいと言っても、主に常に感謝と賛美をささげなければなりません。私たちは人生の荒野において、ただイエスさまだけに仕え、イエスさまのお考えに従って生きなければなりません。そうする時、真の自由と喜びがあります。

お祈り:生きておられる天の父なる神さまの恵みに感謝をささげます。私はイエスさまの恵みを捨て、生きて来ました。今、私の罪を赦して下さい。主を信頼して、主に従って生きていきます。主がいつも私と共にいて下さり、家族と共にいて下さり、この世に打ち勝つ信仰を下さい。イエス・キリストのみ名によってお祈りします。アーメン

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