5月13日 あなたは何を見ていますか?

信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。《ヘブル人への手紙 十二・2》

私たちは毎日毎日、この世の中の否定的で荒れすたれていくものを見るのではなく、イエス・キリストを見上げ、主を信頼し、主に頼り続ける生活をしていかなければなりません。きょうのみことばに書かれている通り、イエスさまを見続けなければなりません。

何を見るかによって、毎日の生活が決まります。何を見るかによって、人の心に満ちるものが決まります。

今、多くの人は、世の中に溢れているさまざまな映像を見て、心に欲望を満たしています。その欲望によって分別を失い、悪の道に走っています。この『見る法則』の威力をサタンに奪われたまま、毎日の生活で失敗しています。聖書の中で、『見る法則』の威力をサタンに奪われ、“人生に失敗”した代表的な人物はエバです。《創世記 三章6節》には、エバが善悪の知識の木の実を取って食べた動機について、「そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた」と記されています。

エバは善悪の知識の木の実を見て、すぐに取って食べたのではありません。エバは悪魔の誘惑を受けてから、悪魔のことばを心に入れ、そのことばに従って、しばらくその木を見上げていました。その結果、どうしようもなく自分が見ているその対象に引かれて行き、それを取って食べ、悪魔のわなに陥り、罪を犯し、堕落してしまったのです。

けれども一方、聖書には、この『見る法則』をよく用いて祝福された人も少くありません。その中の代表的な人物がアブラハムです。

アブラハムがカナンの地を相続する時、神さまは彼にカナンの地を集中的に見るようにさせました。そしてその結果、カナンの地がアブラハムに引き寄せられ、アブラハムがカナンの地へ導かれて行く奇跡が起きました。

今日、何も見上げない人は、何も得ることができません。このような人からは、何の創造的な力も期待できません。「信仰は、望んでいることを保証する《ヘブル 十一・1》」と書かれている通り、望んでいることがなくて、どうして信仰が生まれ、どうしてそれを保証することができるでしょうか。

ですから私たちは毎日、主に頼り続けて生き、きょう一日の目標を立て、また一週間の目標を立て、また一ヶ月の目標を立て、人生の目標を立て、それを集中的に見上げ、その目標のために祈り、努力し、走って行かなければなりません。その時、私たちの人生に驚くべき神の創造の働きが、起き始めるのです。

お祈り:天の父なる神さま、今朝、私が主に礼拝をささげられるように恵みをくださったことを感謝します。今、イエスさまの十字架を、イエスさまの恵みと愛を見上げます。十字架を感謝します。血潮を賛美します。聖霊さま、きょう、聖霊さまに頼り続ける生活を送ります。世のむなしいものを見上げる者にならないようにしてください。私と家族に知恵と力と健康を与えてください。イエス・キリストのみ名によってお祈りします。アーメン

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