5月19日 平和をつくる者、その人は神の子

義の実を結ばせる種は、平和をつくる人々によって平和のうちに蒔かれるのです。《ヤコブの手紙 三・18》

神の子は平和をつくります。「すべての人との平和を追い求め、また、聖さを追い求めなさい。聖さがなければ、だれも主を見ることができません《ヘブル 十二・14》」と書かれ、「悪をたくらむ者の心には欺(あざむ)きがあり、平和を図(はか)る人には喜びがある《箴言十二・20》」と書かれている通りです。

平和は自然には生まれません。罪によって呪われたこの世界には、罪悪が、はびこっています。憎しみと怒り、嫉妬(しっと)とねたみ、盗みと殺人が、まさしく雑草のように、はびこっています。

このような醜い雑草を私たちの庭からぬき取り、平和の庭を作るためには、先ず、相手の人を理解しようと最大限の努力をしなければなりません。この世の中では、何でも自分の望む通りにはなりません。人間は社会的な動物であると言われていますが、一緒に生きているという意識を持って生活しなければなりません。イエスさまが弟子たちに祈りを教えて下さった時、「天にいらっしゃる、私の父よ」とは言わず、「天にいらっしゃる、私たちの父よ」とおっしゃいました。私たちは一緒に生きています。二人三人が一緒に集まって生きることが人生です。人は決して一人では生きられません。ですから、自分の望む通りに、自分の考え通りに生きる人は、どこへ行っても争いを引き起こし、平安のない生活を送ることになるでしょう。私たちが平和をつくるためには、お互いに理解し合う努力を最大限にしなければなりません。

次に、相手の人を知り、理解した後は、同情しようと最善を尽くさなければなりません。同情とは相手の人の立場で考えることを言います。自分の立場だけを考えるのではなく、相手の立場に立って考え、行動しようと努力する時、平和をつくり出すことができるのです。

第三番目に、平和をつくるためには、忍耐しなければなりません。平和は忍耐という土台の上に建てられます。「自分に反抗する人」だからと言って、その人に怒りを燃やし、その人を裁き、その人を罪に定めれば、決して平和をつくり出すことはできません。

最後に、このことが一番大切なことですが、「平和を下さい」と主にいつも祈ることです。イエス・キリストは「平和の君、平和のみなもと」です。私たちが神の敵であった時、私たちが自分自身の罪によって神から裁きを受けるしかなかった時、イエスさまは自分から平和のいけにえになり、十字架に高くかかられることによって、神さまと私たちの間に平和をつくり出してくださいました。

お祈り:平和を下さる天のお父さま、私は平和をつくり出せない時が多くありました。赦してください。これからは、イエスさまから力をいただいて、恵みにより、平和をつくり出すことができるように助けてください。すべての憎しみと罪を、イエスさまの十字架に投げつけて、平和をつくり出すことができるように助けてください。家族と学校、職場と地域に、信仰と希望と愛がいつもありますように。喜びと平安を与えてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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