5月20日 救いの道

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。《ヨハネの福音書 三・16》

 《マタイの福音書 十九章16~22節》に書かれている「金持ちの青年の話」を聞くと、表情を曇らせる人がいます。「イエスさまに従うためには、少なくとも、持ち物をみな売り払って、貧しい人に分けてやらなければならないのか。そうしなければ、永遠のいのちを得ることはできないのか」と思うからです。そうしなければ、永遠のいのちを得られないと言うなら、本当に天国へ行く人は一人もいません。なぜなら、永遠のいのちは、「行い」によって得られるものではないからです。ですから、「金持ちの青年の話」をそのように理解するのは、大きな間違いです。

この金持ちの青年が、イエスさまにした質問は、完全に間違ったものでした。彼が問いかけた質問自体が、イエス・キリストの十字架を否定しているからです。救いのための働きや行いは、神さまだけが実現可能です。私たちには、その神さまのなさった働きを、信じる義務だけがあるのです。「なぜなら、人はだれも、律法を行うことによっては神の前に義と認められないからです。律法を通して生じるのは罪の意識です《ローマ 三・20》」と書かれ、人間は神のみことばを行うことによっては、救いを頂くことはできないのです。ところがこの青年は、みことばを行うことによって、救いを得ようとしたのでした。

この青年は、聖書にあるすべてのみことば、すなわち戒めをすべて守った、と言いました。青年はイエスさまに、「私はそれらすべてを守ってきました。何がまだ欠けているのでしょうか《マタイ 十九・20》」と聞きました。イエスさまは、その青年の愚かさを見抜いて、言いました。そして行いによって救われるという浅はかで、愚かな考えを砕くために、「あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい《マタイ 十九・21》」と言われたのです。すると青年は悲しんで、イエスさまのもとを去って行きました。最後まで愚かさを捨てず、自分の正しい行いによって救われると信じて、イエスさまのもとを去ったのです。たとい彼が行って、自分の全財産を売り、貧しい人に分け与えても、彼は永遠のいのちを得ることはできないでしょう。なぜなら、彼の前に立っておられるイエスさまを信じ迎え入れなかったからです。もしも、その青年が「主よ、私にはできません。けれども永遠のいのちは得たいのです。どうすれば良いのでしょうか」と、イエスさまの足もとにひざまずいたならば、イエスさまは確かに、永遠のいのちの道を彼に宣言なさったでしょう。「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。《使徒 四・12》」

私たちは、救われるためには、ただイエス・キリストを信じさえすれば良いのです。信じて永遠のいのちを頂いた後、聖霊さまが私たちの心に来られて、私たちの行いをすべて導いてくださいます。このことを知って、主にすべてをおまかせしながら生きる人が、本当に価値ある人生を生きることができるのです。

お祈り:私たちを愛し、救ってくださる天の父なる神さま、ただ信じるだけで救われることを感謝します。私がこの信仰をもって主に栄光をお返しする人生を送ることができるように導いてください。家族一人ひとりに勇気と希望をくださり、周りの人たちに福音を伝える力を与えてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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