あなたの父祖たちが知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせてくださった。それは、あなたを苦しめ、あなたを試し、ついにはあなたを幸せにするためだったのである。《申命記 八・16》
毎日の生活の中で、苦しみや問題が襲って来ることがよくあります。それはまるで、“死の陰の谷を歩く”かのような時です。そのような時こそ、心にしっかりと刻みつけなければならないことがあります。心砕かれ、聖霊さまと一緒に、自分を振り返るべき時なのです。心低くしなさい、と聖霊さまが語っていらっしゃる時です。「あなたの心が高ぶり、あなたの神、【主】を忘れることがないように。主はあなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出し、燃える蛇やサソリのいるあの大きな恐ろしい荒野、水のない乾ききった地を通らせ、硬い岩からあなたのために水を流れ出させ、あなたの父祖たちが知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせてくださった。それは、あなたを苦しめ、あなたを試し、ついにはあなたを幸せにするためだったのである《申命記八・14~16》」と書かれている通りです。天のお父さまは、私たちを幸せにするために、苦しみや問題の中を通すとおっしゃいます。ですから、私たちは苦しみや問題に襲われた時、イエスさまを信頼し、決して失望しないで、心砕かれ、心低くされ、主に叫び求め、祈らなければなりません。「主よ、主の方法で、主が解決してくださることを待ち望みます!」
また、苦しみや問題は、天のお父さまが、私たちを子として訓練している証拠だと聖書は言っています。キリスト者は、「苦しみや問題」を食べなければ強くはなれません。ヨシュアとカレブはカナンの地に住む先住民を指し、「その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちの餌食となる。彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている《民数記 十四・9》」と言いました。ヨシュアとカレブと一緒にカナンの地を偵察した他の十人の者が、カナンの人々を見て恐れ、「私たちには無理だ! できない! 殺される!」と、否定的な報告をした時、ヨシュアとカレブは、彼らを「えじき」と決め、主と共に立ち向かって進もうと叫んだのでした。
今もキリスト者には、苦しみや問題はついて回ります。敵がいるからです。目に見えないサタンと悪霊、そして肉の内に住みついている罪です。その時こそ、キリスト者はイエスさまに頼る心の思いが鍛えられ、強くされることを知り、主に感謝しなければなりません。
心にしっかりと刻みつけておかなければならない一番大切なことは、その苦しい時こそ、聖霊さまが私たちと共におられるということです。ダビデは「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れませ。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです《詩篇 二十三・4》」と告白しました。私たちが苦しみや困難にあう時は、一人ぼっちにされたような気になりますが、そのような感情は人間の感情にすぎないだけで、イエスさまはいつも私たちと共にいてくださるのです!
羊飼いにとって「むち」とは、羊を正しく導く道具です。羊が間違った道に行く時、羊飼いは「むち」をもって正しい道へと導きます。キリスト者が間違った道に行けば、天のお父さまは苦しみや困難という「むち」によって、私たちを正しい道へと導こうとなさっておられるのです。ですから主の「むち」、は私たちを「恵みの道」へと導く道具なのです。「むち」で打たれる時は、誰でも苦しいものです。けれども、苦しみや困難が過ぎ去ってしまえば、主の「むち」で打たれて来た道が、幸いな道であったことを知るようになるのです。
お祈り:私たちを愛をもって守ってくださる天の父なる神さま、感謝します。私と家族が苦しみや問題にあっても、恨んだり、つぶやいたりせず、悔い改め、心低くされ、苦しみや問題が与えられた意味を考えながら、感謝できるようにしてください。主の「むちと杖」でいつも守って下さり、正しい道に進めますよう、導いてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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