信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。《ローマ人への手紙 十・17》
人は成長して行く過程でいろいろなことを学び取り、知恵と知識を自分のものとします。けれども、その知恵と知識を得ることによって、本当の幸せを得られるのではありません。人を本当に幸せにするのは、神さまのみことばです。神さまのみことばは、人生の中で灯台のようであり、携帯電話や自動車に搭載されているナビゲーションシステムのようです。みことばこそ、イエスさまこそ、道であり、真理であり、永遠のいのちなのです。
人類の歴史を注意深く調べる時、聖書を受け入れ、その教え通りに生きようとした民族は、死んでいた霊がよみがえり、キリストの心、キリストの考えに従って生きました。すべてにおいて幸せが与えられ、健康になりました。けれども、聖書を捨てた民族は魂が救われず、すべてにおいて呪われ、健康を与えられませんでした。聖書こそ神さまの知恵であり、知識であり、人間に総明さを与えるものなのです。ですから、私たちはいつも聖書を愛し、みことばを実践しながら生きなければなりません。「どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています。あなたの仰せは、私を私の敵よりも賢くします。それはとこしえに、私のものだからです。私は私のすべての師よりも悟りがあります。それはあなたのさとしが私の思いだからです。私は老人よりもわきまえがあります《詩篇百十九・97~100》」と書かれている通りです。
ですから私たちは、聖書を愛さなければなりません。神さまの真理のみことばが、心とからだと毎日の過ごし方と、私たちの周りの環境を変化させます。聖書を愛するとは、①「心を静め、祈りながら、じっくりと味わいながら読むこと」、②「メッセージを聞くこと」、③「みことばを自分で調べ、学ぶこと」、④「みことばを実践すること」です。私たちは聖書を読む時、計画を立てて読まなければなりません。
そして、みことばを絶えず心の中で思いめぐらし、口で告白することが大切です。神さまのみことばは「信仰の種」です。「信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。」私たちがみことばを絶えず心の中で思いめぐらし、口で告白すれば、そのいのちのみことばが信仰によって働きます。私たちの毎日の生活で成功するか失敗するかを左右するのは、金や銀などの物を持っていることや、後ろ盾となってくれる人ではありません。キリストを信頼する「信仰」です。主を絶対信頼し、信仰を強く持った人は、どんな環境にいても祝福されます。砂漠にいたアブラハムと家畜は、主によって祝福され、どんどん増えました。みことばが働くならば、闇の力は退き、心に平安と喜びが湧き上がります。神さまの力と恵みが与えられ、「絶対限界;絶対に無理だ」と考えていたものが崩れ、主の創造の働きが起こされます。ですから私たちは、みことばにしっかりと土台をすえた信仰をもって、毎日生活しなければなりません。
お祈り:みことばをもって、私たちの心の中に住んでおられる天の父なる神さまを賛美します。私と家族が、神さまのみことばにしっかりと土台を据えた信仰を持つことができるように助けてください。聖霊さま、私たちの弱さを助けてください。いつも共にいてください。みことばを実践できるように助けてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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