キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。《ガラテヤ人への手紙 五・6》
信仰は、愛から生み出されるものです。夫は妻を愛するので、妻を信頼します。妻も夫を愛するので、夫を信頼します。愛のあるところに信頼があります。
イスラエルに3年6カ月の間、飢きんがあった時、ツァレファテに一人のやもめがいました。彼女はわずかばかり残った小麦粉と油でパンを焼き、それを食べたあと死のうとしました。その時やもめのもとに神の人エリヤがやって来ました。エリヤはやもめに「一口のパンを持って来てください《Ⅰ列王記 十七・11》」と言いました。このことはやもめにとって大変ショックなことです。エリヤは続けて言いました。「イスラエルの神、【主】が、こう言われるからです。『【主】が地の上に雨を降らせる日まで、そのかめの粉は尽きず、その壺の油はなくならない。』《同 十七・14》」神さまを愛していたこのやもめは、神の人エリヤのことばを信頼しました。それでこのやもめは残っていた小麦粉と油でパンを焼き、エリヤのもとへ持って行きました。「彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。エリヤを通して言われた【主】のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった《同 十七・15~16》」のです。ツァレファテのやもめは、神さまを愛していました。神さまを信頼していたのです。その結果、神さまの祝福を頂いたのです。
神さまは、この世を愛しておられます。神さまは、口先だけで「愛する」とおっしゃるのでしょうか。いいえ、そうではありません。神さまは、愛のしるしとしてひとり子イエス・キリストを、この世に送ってくださいました。「神は、実に、 そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである《ヨハネ三・16》」と書かれている通りです。
神さまを愛しているならば、神さまを信頼し、神さまにすべてを献げなければなりません。ところが今、多くのクリスチャンが「主を愛します」と口先で言うだけで、神さまを信頼せず、神さまにすべてを献げず、神さまに従っていません。神さまを何よりも愛し、すべてを献げ、従う信仰を神さまに見せる者を、主は求めておられます。これは愛のしるしです。ですから私たちは日々、神さまを何よりも愛し、すべてを献げ、従う信仰を、神さまに見せなければなりません。そうすれば、神さまがすべての責任を取ってくださいます。
お祈り:私たちを恵みによって顧みてくださる天の父なる神さま、感謝します。私たちが愛をもって働く信仰を持つようにしてください。神さまに献身し、隣人のために献身する家族になるようにしてください。私たちが利己主義や貪欲を捨てるようにしてくださり、謙遜な心をもって、主に仕えるようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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