5月31日 柔和な者は幸いです

しかし、柔和な人は地を受け継ぎ、豊かな繁栄を自らの喜びとする。《詩篇 三十七・11》

人はだれでも、程度の差こそあれ、時々怒ります、意地を張ります、感情を爆発させます。これは人の内にある自我です。このような私たちの「エゴ、自我」を砕くために、天のお父さまは「苦難」という道具をお用いになります。

心の貧しくない者、主の御前にへりくだって、主に従うことができない者は、天のお父さまの恵みを味わうことはできません。天のお父さまが、私たちに絶えず求め続けなさいとおっしゃっていることは、「柔和」です。「柔和」とは、主の御前にへりくだって、主に従うことです。今、家庭や学校や社会で、人間関係のもつれで起こっている不幸な事件の原因は、大部分が「エゴ、自我」の問題です。自己中心が原因となって表れる怒りと感情の爆発です。「自分が得をすれば良い」という利己主義の考えを持ち、周りの人に怒りをぶつけながら生きる人は、みじめで、不幸な人生を送ります。ですから、キリストに従う者として成長しているかどうかを測るためのとても重要な要素の一つが、この「柔和」だと言えるのです。

「柔和」とは、馬やろばがしつけられ、よく飼い馴らされ、調教されているという意味です。天のお父さまによく調教された柔和な人は、人格が柔らかく、心の温かさを持っています。このような人は主に用いられ、イエスさまと共に豊かな実を結ぶことができます。

《創世記》に書かれているヨセフは、誠実な人です。彼も「柔和の訓練:しつけられ、よく飼い馴らされ、調教される訓練」を受けました。彼は17歳の時に兄たちの策略によってエジプトに奴隷として売り飛ばされました。エジプトでは更に、濡れ衣を着せられ、牢屋に入れられました。一度入ったら、二度と出られないような牢獄です。「王様に対して罪を犯した囚人が入れられる牢獄」です。彼は13年間、そこで生活しました。けれども彼はその場所で、徹底的に「柔和」の学課を学びました。彼はこの学科を体得し始めました。すると天のお父さまは、ヨセフを牢獄の中でも人々から注目される人物として用い始めてくださいました。遂には牢獄から釈放され、エジプトの総理大臣というファラオに次ぐ地位が主から与えられ、主の御名の栄光を現す者とされたのです。

しばらくして、飢饉により食べ物がなくて苦しんでいた父ヤコブと彼の兄たちが、食糧を買いにエジプトを訪れて来ました。その時柔和なヨセフは、仕返しせず、彼らに住む場所と食べ物を与えました。父ヤコブが死んだ後、兄たちは、ヨセフがかつての残忍な仕打ちの仕返しするのではと恐れました。彼は最後まで兄たちに仕返ししませんでした。むしろ恐れる兄たちを慰めました。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりになることができるでしょうか。あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたも、あなたがたの子どもたちも養いましょう。《創世記 五十・19~21》」

これは実に柔和な人の話です。人は普通、仕返しする機会をうかがいます。けれどもヨセフは、本当に柔和な人でした。そのような心からのことばを持って兄たちを慰め、彼らの幸せを願いました。エジプトでの生活の必要をすべて備えてあげました。

イエスさまはおっしゃいます。「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。《マタイ 五・5》」天のお父さまの御前にへりくだり、御心に従順な人、柔和な人は祝福されます。あなたは、この地上で本当に意味のある、価値のある幸せな人生を送ることを願っていますか。そうなら、「柔和」の学科を学んでください。

お祈り:生きておられる天のお父さま、感謝します。私と家族は「柔和な心」で生きることを願っています。でも時には、みにくく、曲がった、頑なな心で、主の御心に逆らい、隣人に痛みを与えたことがありました。今、告白します。赦してください。私と家族がイエスさまをほめたたえながら、柔和な心で、平安な日々を生きることができるようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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