エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。《創世記 五・24》
エノクは、アダムから数えて7代目の子孫です。エノクは、聖霊さまと共に毎日を生活しました。カインとアベルの事件のあと、アダムに生まれた3人目の子のセツと、セツの子孫は、神と共に生きる生活を送ることができました。毎日、神の愛と力を頂く生活です。そのような生活を送る人が、この家族から多く出ました。中でもエノクのことを特に、「神と共に歩んだ」と、二度も記しています。エノクは、ことのほか天のお父さまに認められ、愛された人なのです。
神さまと共に歩むとは、どういう意味なのでしょうか。
第一に、神さまと和解することです。エノクは65歳の時にメトシェラを生んで後、300年間神さまと共に歩んだと記されています。神さまと共に歩むためには、まず神さまと和解することが必要です。人は、エデンの園で神さまに対して罪を犯しました。神さまから離れ、神さまから独立しました。それはまるで、「神の家」から家出をして、当てもなくさ迷い歩く「ホームレス」のようです。それから後、神さまと人との間には、越えることのできない「罪という広く深い淵」が生まれました。その結果、神さまと共に歩むことができなくなりました。イエスさまが来られるまでの旧約時代は、神さまと和解するためには、神さまの御前で、しみや傷のない羊や牛などの動物をいけにえとしてささげ、その血を注ぎ出さなければなりませんでした。罪を持たずに生まれたイエスさまは、生涯の中で一度も罪を犯すことはありませんでした。しみや傷もなく、罪もないイエスさまが、神の御前でいけにえとなってくださり、私たちの罪を赦してくださるために、十字架の上で死なれました。イエス・キリストの血がすべて罪の世界に注ぎ出されたのです。イエス・キリストの十字架と血により、信じる者は誰でも、父なる神さまと和解することができるようになりました。私たちが神さまと共に歩むためには、まずイエス・キリストの十字架と血により、天のお父さまと和解しなければなりません。
第二に、神さまのみことばに従い、御心の通りに生きることです。私たちが神さまと共に歩むためには、神さまのみことばを口で告白し、神さまのお考えを実践しなければなりません。イエス・キリストの御名を呼び求め、イエスさまのように、自分の考えや計画を捨てて、聖霊さまの力によって、聖霊さまの考えや計画に頼って生きることです。
第三に、光の生活をすることです。罪と悪は悪魔から出ているものです。罪と悪を習慣的に行う人は、悪魔から生まれた人です。天のお父さまは光であられ、お父さまには暗いところ、闇が少しもありません。暗いところがある闇の生活をする人は、神さまと共に歩むことはできません。ですから、私たちが神さまと共に歩むためには、罪を憎み、イエスさまを愛する生活を送ることです。「罪」とは「まとはずれ」です。イエス・キリストを求めない生活が、罪です。イエス・キリストを愛さない生活が、罪です。
第四に、この世界や、この世界にあるものを愛さないことです。生活していく中で、この世にあるものを用いなければなりませんが、神さま以上に愛してはいけません。この世の何よりも勝って、神さまを愛する時、私たちは神さまと共に歩むことができます。私たちもエノクのように神さまと共に歩みながら、携挙の日に、イエスさまのもとへと引き上げられる神の子どもたちとさせて頂きましょう。
お祈り:私たちと共にいてくださる天のお父さま、感謝します。私はお父さまの御心に従って生きられなかったことがありました。赦してください。これからお父さまの御心の通りに生きることを、心から願います。イエスさまを愛する生活を毎日送ることができるよう、助けてください。携挙の栄光を待ち望みながら生きられるように導いてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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