6月3日 私たちは王である祭司

しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。《ペテロの手紙 第一 二・9》 

きょうのみことばには、神さまが私たちを「王である祭司」に任命してくださった、と書かれています。「祭司」とは、神さまの御前で「いけにえ」をささげる人です。ですから、「祭司」に任命された私たちは、神さまの御前で「いけにえ」をささげなければなりません。

私たちがささげる「いけにえ」とは、何でしょうか。「いけにえ」をささげるための「祭壇」は、どこにあるのでしょうか。ただイエス・キリストの十字架と、血潮と、復活を信じることで、私たちは救われます。イエスさまが「いけにえ」です。イエスさまの十字架が「祭壇」なのです。ですから今、私たちが救われるために、イエスさま以外の「いけにえ」をささげる必要はありません。救いは、イエスさまの十字架と、血潮と、復活によって、完成したのです。

では、救われている私たちが、毎日の生活の中でささげる「いけにえ」とは、何でしょうか。それは、神さまに喜んで頂くことです。神さまが喜んでくださる「いけにえ」、喜んで受け取ってくださる「いけにえ」を、聖書から5つ挙げます。

第一に、感謝のいけにえです。「感謝のいけにえを献げる者は、わたしをあがめる。自分の道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せる《詩篇 五十・23》」と書かれている通りです。今まで、イエス・キリストのゆえに、天のお父さまがくださった祝福を数えて、主に感謝をささげれば、主は私たちの感謝のささげものの香りをかがれ、私たちにご自身をあらわしてくださいます。

次に、主が喜ばれるいけにえは、「賛美のいけにえ」です。「それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか《ヘブル 十三・15》」と書かれている通りです。私たちは、イエスさまと天のお父さまに、賛美のいけにえをささげなければなりません。

第三に、「善を行うことと、持ち物を分けるいけにえ」があります。「善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです《ヘブル 十三・16》」と書かれている通りです。イエスさまを愛する心で、隣人に善を行い、持ち物を分け与えなければなりません。

さらに、主が喜ばれるいけにえは、「物質をささげるいけにえ」です。「私はすべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロディトからあなたがたの贈り物を受け取って、満ち足りています。それは芳ばしい香りであって、神が喜んで受けてくださるささげ物です《ピリピ 4・18》」と書かれている通りです。私たちは、贈り物を分かち合わなければなりません。

最後に、神さまの喜ばれるいけいえは、「生きたいけにえ」です。「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です《ローマ 十二・1》」と書かれている通りです。私たちの生活がいつもイエスさま中心であることが、生きた供え物をささげることです。このような生きた供え物をささげる時、神さまが共にいてくださいます。

「祭司」である私たちが神さまに供え物をささげる時、神さまと和解し、この地上で神さまの働きをすることができます。

お祈り:私たちをイエス・キリストによって「祭司」に選んでくださった天のお父さま、感謝します。私と家族が、このように混乱と不安でいっぱいの今の世の中で、「祭司」の役目をきちんと果たし、天のお父さまに栄光をお返し、隣人を喜ばせ、周囲に聖霊さまの影響を与えることができるよう助けてください。私と家族に、力と勇気をください。どんなに苦しい問題でも、それに立ち向かい、主と共に勝利できるように助けてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

6月2日へ   6月4日へ   6月の目次へ    毎朝のマナの目次へ

コメント