6月4日 絶望の夜を通る時

真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。すると突然、大きな地震が起こり、牢獄の土台が揺れ動き、たちまち扉が全部開いて、すべての囚人の鎖が外れてしまった。《使徒の働き 十六・25~26》

私たちには、暗い日々、望みが全くないと思える日々を迎える時があります。家族と暮らしているのに、そのような暗い日々を迎える時もあります。私たちが住んでいる日本に、望みが全くないと思える日々を迎える時があります。世界中の国々が、暗い日々、望みが全くないと思える日々を迎えています。こういう時、私たちは聖書の約束のみことばにしっかりと立ち、イエスさまを見つめなければなりません。

パウロとシラスが、ピリピというマケドニア地方で最も大きな町で、福音を宣べ伝えていた時でした。その町には占いの霊によって人々の人生を占っていた女奴隷がいました。この女奴隷は幾日もパウロとシラスの後をついて来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えています《同 十六・18》」と叫び続けました。パウロは困り果て、イエスさまのお名前によって、この女性から占いの霊を追い出しました。すると、この占いの霊に取りつかれていた女奴隷は、占いが出来なくなりました。彼女の占いで金をもうけていた主人は、パウロとシラスを捕まえ、役人の所に連れて行きました。二人はむちで打たれ、牢に入れられました。

牢の中で「真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた」のです。真夜中とはもちろん時間のことです。けれども真夜中とは、時間のことだけではなく、心の中が絶望と悲しみで一杯になっていることをも言っています。こういう機会を用いて、悪魔は、「お前の神さまは、どこにいるか?」と私たちを訴えます。普通のクリスチャンだったら悪魔の訴えにだまされて、神さまを恨んだことでしょう。けれども、パウロとシラスは、そのような時にこそ、真夜中であっても、神さまに賛美をささげ、祈りをささげたのです。他の囚人たちも、二人の祈りと賛美を聞き入っていました。パウロとシラスはむち打たれ、血がにじみ、本当に体中が痛いのにもかかわらず、絶望と思われる牢獄で、真夜中、心に満ちる感謝をもって、神さまに賛美をささげました。「感謝のいけにえを献げる者は、わたしをあがめる《詩篇 五十・23》」のです。二人の祈りと賛美に、神さまが答えてくださいました。地震が起きたのです。すると、獄舎の土台が揺れ動き、たちまち牢のとびらが全部開いて、みなの鎖が解けてしまったのです。パウロとシラスだけでなく、他の囚人たちも自由になるという奇跡が起こったのです。

私たちは個人的に、病気にかかったり、友だちに裏切られたり、あるいはイエスさまに罪を犯して、真夜中を迎える時があります。家族同士でけんかをしたり、家族の誰かが病気になったり、必要なお金がなかったりと、家族が真夜中のような時を迎えることがあります。今、私たちの住んでいるこの日本は、すべての面で病気にかかっています。真夜中を迎えているような時です。私たちはこのような時、パウロとシラスのように神さまを恨んだりせず、運命を呪ったりせず、イエスさまから頂いている恵みを数えて、主を賛美しなければなりません。私たちの心の底からの賛美と感謝は、心の病気から私たちを救い出します。貧しさから救い出します。罪と悪から救い出します。絶望から救い出します。苦しみが来たと言って、神さまを恨み、不平をつぶやけば、ますます暗やみに落ち込んで行きます。けれども、そのような闇の中から、真心をもって主に感謝をささげるならば、主が必ず救い出してくださいます。

お祈り:全てのことを働かせて益としてくださる天のお父さま、感謝します。私たちの国は今、真夜中を迎えています。天のお父さまに祈ります。この闇を取り除いてください。イエスさまによる希望の光を与えてください。私の家族の闇を取り除いてください。希望の光を与えてください。私の友だちが、私のささげる祈りと賛美に聞き入るようにしてください。私の心をイエスさまに喜ばれるものとしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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