しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちをキリストによる凱旋の行列に加え、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます。《コリント人への手紙 第二 二・14》
今の時代、私たちを罪に誘惑するものが数多くあります。このような時、私たちはキリストの中でその誘惑に打ち勝ち、イエスさまの香りを放つ生活をしなければなりません。どのようにしたら、そのような生活をすることができるでしょうか。
第一に、罪に打ち勝つことです。そのためには、天のお父さまと交わり、お話しをしなければなりません。聖書のみことばをいつも読み、みことばに聞き、みことばを思い巡らし、みことばを学ばなければなりません。みことばは、私たちの人生のともし火です。みことばの光を持つ時、イエスさまに罪を犯し、イエスさまを裏切るようなことはしません。《創世記》から《ヨハネの黙示録》まで、みことばは、私たちの光です。それだけでなく、みことばは私たちの「心のパン」です。心を洗い清める「水」です。ですから主は、モーセの後にイスラエルのリーダーとなったヨシュアに、「このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである《ヨシュア一・8》」と言われました。
第二に、みことばによって悪魔を打ち破ることです。みことばは悪魔を打ち破る剣です。ですから悪魔は、何とかしてキリスト者がみことばを悟ることがないように、いろいろな策略を使います。悪魔は、キリスト者の思いの中にするするっと忍び込み、みことばを人間的に理解させようとします。今の時代、みことばを信頼せず、みことばを信じないクリスチャンが大勢います。主の奇跡と不思議なわざを信じないクリスチャンが大勢います。私たちはこのような悪魔の策略にだまされず、みことばを常に信じ、みことばを信頼しなければなりません。
第三に、熱心になって、いつも悔い改めることです。私たちクリスチャンの内には、だれ一人として完全な人間はいません。人は誰でも罪を犯してしまうのです。けれども、罪だと分かったら、罪を行ったことを正当化したり、自己弁護したり、つじつまを合わせたり、言い訳したりせずに、犯した罪をすぐ、イエスさまの御前で告白することです。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。《Ⅰヨハネ一・9》」 私たちが罪を告白し、赦してくださいと主に祈れば、神はすべての罪を赦してくださり、罪と悪から私たちを洗いきよめてくださるのです。
第四に、いつも祈ることです。私たちはイエスさまのお名前によって、いつでも祈る、どんなことでも祈る、どんな時にも祈ることができるのです。祈る時、聖霊の力で満たされます。私たちをキリストの道から外させようとする悪魔のすべての誘惑に打ち勝ち、信仰の道を真っすぐに進むことができます。
そして最後に、聖霊さまの助けを求めることです。聖霊さまは聖いお方です。聖霊さまは私たちを聖い道へと導かれます。聖霊さまは真理の霊なので、聖霊さまが来られると、私たちを絶えず真理の道へと導かれます。
お祈り:いつも私たちと共にいてくださる天のお父さま、感謝します。イエスさまが共にいてくださるから、私たちは毎日の生活のすべてのことに勝利できます。私と家族といつも一緒にいてくださり、どこへ行っても罪に打ち勝ち、キリストの香りを放つ者に変えてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
コメント