6月10日 イエスさまの心

あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。《ピリピ人への手紙 二・5:新改訳第三版

きょうのみことばに書かれている通り、私たちはイエスさまの心を学び、自らのものとしばなければなりません。では、イエスさまの心とは、どのような心なのでしょうか?

第一に、低い心です。罪人であり、神に反逆している者である私たち人間のために、イエスさまは言葉で表現できないほど、低くなられました。そして、私たちの救い主になられました。私たちは、このイエスさまの心を学ばなければなりません。神さまのひとり子イエスさまが、卑しい人間のために低くなられたのに、人間である私たちが、何がそんなに偉くて、心をかたくなにし、高慢な行動ができるでしょうか。

第二に、しもべの心です。しもべは主人に仕えます。私たちは、神さまと人に仕えなければなりません。イエスさまはおっしゃいました。「しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。《マルコ 十・43~45》」 イエスさまは、天と地とその中にある全てのものを支配される方です。そのようなイエスさまが、自らしもべとなられ、仕えるために来たとおっしゃるのです。私たちは、イエスさまの姿を学ばなければなりません。

第三に、犠牲を払う心です。イエスさまは全く罪がないのにもかかわらず、罪人である私たちの代わりに、十字架の上で犠牲となられました。日ごとに荒(すさ)み、暗やみが支配しているような今こそ、互いのために犠牲を払わなければなりません。今人々は、隣人が少しでも間違えば、盛んに厳しく責め続け、自分が少しでも有利な立場に立つようにします。自分が得をすることだけを追い求めます。イエスさまは、人を罪に定めませんでした。人の代わりに、ご自分が罪を背負いました。イエスさまの犠牲により、永遠のいのちを得た私たちクリスチャンは、この犠牲となる心を、そのまま生活の中で実践しなければなりません。

みなさん! 親や兄弟のために犠牲を払ってください。友だちのために犠牲を払ってください。十字架を背負ってください。「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです《Ⅰヨハネ 三・16》」と書かれている通りです。

十字架で死んだ後には、必ず復活があります。つまり、尊い犠牲を天のお父さまにささげた後には、実を結ぶということです。イエスさまはおっしゃいました。「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。《ヨハネ 十二・24》」 イエスさまの犠牲により、今10億を越える人々が神の民となっています。私たちが、自らをささげ、一粒の麦となる時、神の国では豊かな実が結ばれるのです。人々がイエス・キリストに出会い、神の子たちがこの地に満ちるのです。

お祈り:私たちを恵みの翼をもって守ってくださる天のお父さま、感謝します。私たちが高慢になって、神さまの御心を捨てたことがありました。赦してください。これからは真心から神さまに仕えます。へりくだり、心低くなる者にしてくださり、私と家族が互いのために自分をささげ、犠牲をささげられるようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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