わたしの義人は信仰によって生きる。もし恐れ退くなら、わたしの心は彼を喜ばない。《ヘブル人への手紙 十・38》
私たちがキリストを心にお迎えすれば、心にある信仰の目が開かれ、世の流れに押し流されないで生きて行くことができます。
モーセは若い時、自分の力で、イスラエルを救おうとしました。40才のモーセは、エジプトのあらゆる知恵と知識に満ち、また戦士としても優れた人物でした。しかしモーセの夢は、水に浮かぶ泡のように、一瞬にしてついえてしまいました。ある日モーセは、エジプト人の役人がイスラエル人を傷め付けているのを、目の当たりにしました。モーセはそのエジプト人を殺します。このことがファラオに知れました。モーセはファラオに死刑にされることを恐れ、ミデヤンの地に逃げ去りました。その地で、彼は40年間、荒野で羊の世話をし続けました。「私が、イスラエルを解放するんだという野望を持った宮殿時代」から、「私には何もない。私には何もできないという絶望の荒野」へと転落したモーセは、いつの間にか勇気と熱心さを失い、無力な老人へと変わってしまいました。
ある日、モーセはホレブの山で羊を飼っている時、柴の木が燃え続けている光景を見ました。柴の木が燃えるのは、熱い荒野ではよく見ます。ところが、その柴の木は火がついたまま、木が燃え尽きて灰になることがありませんでした。不思議に思ったモーセが近づいてみると、主の御声がありました。「ここに近づいてはならない。あなたの履き物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる地である。……今、見よ、イスラエルの子らの叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプト人が彼らを虐げている有様を見た。今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民、イスラエルの子らをエジプトから導き出せ。《出エジプト 三・5、9~10》」
すると急に、モーセの心の目が開かれ始めました。以前には想像もできなかった人生の計画が、主によって明らかにされ、モーセはショックを受けました。主の御心によって、このような人生の計画が備えられていることを知ったモーセは、一瞬にして変えられました。それは、ことばでは表現できないほどの驚きでした。既にあきらめていた若い時の夢、イスラエル人を解放したいという夢が今、主の力によって新しく彼に現わされたのです。
今、私たちも同じようにして心を変えて頂くことができます。人々は、この世界を生きて行くとき、この世界の様々な力を頼って、野望をもって生きています。そうしているうちに、イエス・キリストを心に迎え入れます。次第に心の目が開かれるようになると、目に見える世界を超えて、霊の世界があることを知るようになります。霊の世界と目に見える世界とを、完全にご支配しておられる主を信頼するようになります。きょうのみことばに書かれているように、「わたしの義人は信仰によって生きる。もし恐れ退くなら、わたしの心は彼を喜ばない」のです。
モーセは、信仰の世界、霊の世界を心の目で見る者に変えられました。主の力によって新しくされ、エジプトに帰ります。そして、かたくなな独裁者ファラオから、300万人ものイスラエルの民を救い出しました。これは人間の力では到底できない働きです。モーセは目が開かれましたから、民が自分を恨み、いろいろな苦難が起きても、揺るがない信仰をもって民を導くことができました。
このように今、私たちの心の目が開かれるなら、揺るがない信仰を持って、主が備えられた世界に向って力強く歩んで行くことができるのです。
お祈り:私たちと共にいてくださる天のお父さま、感謝します。主を忘れ、世にあるものを追い求めながら生きて来ました。赦してください。恨み、不平をつぶやいたこともありました。赦してください。信仰の目を大きく開けて十字架を見上げ、約束のみことばを見る私と家族となるようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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