6月25日 彼らの信仰を見て

イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。《マルコの福音書 二・5》

中風という病気になって、苦しんでいる人がいました。その人の数人の友だちは、イエスさまが自分たちの村に来られるという噂(うわさ)を聞きました。彼らは病気の友だちを寝床ごと担いで、イエスさまのおられる家に行きました。ところが行ってみると、人が一杯で、とても中に入れそうにありません。「友だちに、イエスさまが直接さわってくだされば、きっといやされる」という固い信仰をもって、彼らは決断をくだしました。屋根をはがし、友だちを寝床ごと、イエスさまの前に吊り降ろしたのです。

これは普通の冒険ではありません。他人の家を壊さなければなりません。その後の修理代も支払わなければなりません。家の中にいる人は文句を言うでしょう。もし、間違ってロープが切れたり、結び目がほどけたりすれば、寝床がひっくり返り、中風の友だちはまっさかさまに下に落ちて、死んでしまうかもしれません。しかし彼らは行動に移しました。屋根は、ばりばりっと音を立ててはがされて行きました。ほこりが舞います。中にいる人は驚き、叫んだことでしょう。しかし彼らは、屋根をはがし続けました。

イエスさまは「彼らの信仰を見た」のです。主は私たちの信仰をご覧になります。天のお父さまのお働きを私たちが体験するためには、主がご覧になることのできる信仰をもって、具体的に祈らなければなりません。

彼らの信仰と行動は必死でした。また具体的でした。屋根をはがす。寝床を友だちごとロープで縛る。どこにおろすのか。何人かの友だちが、各自どのようにロープを持って、彼を降ろすのか。これらのことを検討するのは、とても具体的な行動です。

今、キリスト者も、このようにいのちをかけた信仰をもって、具体的に行動する時、主はその信仰をご覧になります。私たちは、信仰をいろんなことでお見せすることができます。時間を主にささげます。心と思いを主にささげます。十分の一返金を主にささげ、いろいろな献金を主にささげます。隣人のために祈ります。その人を、主と共に愛し、その愛を信仰によって実践します。私たちがこのようにする時、主は私たちを認め、イエスさまのくすしい御業を私たちに体験させてくださいます。

イエスさまは、中風の人と友人たちの信仰を見て「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われた後、「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われました。すると、彼は直ぐにいやされ、起き上がり、家に帰ることができました。固い信仰の決断と具体的な願いによって、主の偉大な働きを見ることができたのです。

イエス・キリストは、きのうも今日も、いつまでも、同じです。私たちが変わらず働かれる主の恵みを体験するためには、周りの状況がどうであっても、主を信頼する固い信仰をもって、主の御心に従って、信仰の決断をイエスさまに見せる必要があります。そうする時、主は私たちの信仰をご覧になって、偉大な御業を見せてくださるのです。

お祈り:私たちの家庭の主人でおられる天のお父さま、感謝します。私と家族は、毎日の生活で、苦しみにとらわれて、絶望する時が度々あります。これからは、信仰の目で十字架の主だけを見上げます。私と家族といつも一緒にいてくださり、恵みを施してください。私と家族がいつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝するようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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