勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。《ローマ人への手紙 十二・11》
神さまの恵みを味わい知ったキリスト者は、神さまの恵みに応答えする生活をする必要があります。私たちが本当に主に応答する生活をするなら、主の恵みが私たちの生活の中に、もっともっと与えられるでしょう。また私たちは、神さまに真心から仕える必要があります。世の中では、人々は自分の考え通りに生き、自分の欲望を追い求め、楽しいことだけを追い求め、お金を追い求めています。このような態度こそ、偶像礼拝だと聖書は警告しています。そして偶像礼拝には、神さまの裁きが下ることを知らなければなりません。
イエス・キリストを通して、偉大な恵みを頂いている私たちは、すべての偶像を捨て、ただイエスさまだけにお仕えして生きることが求められています。では、イエスさまの恵みに応答する生活とは、どのようなことでしょうか。
第一に、神さまのみことばをいつも読み、みことばを実行することです。また、時間を主にささげて、主を礼拝することです。感謝をささげ、賛美をささげ、主に祈るということを意味します。神さまにお仕えすることを一言で言うなら、主を信頼し、主に喜ばれることだけを追い求めることです。礼拝と祈りと賛美とみことばをおろそかにする人は、神さに仕えているとは言えません。神さまにお仕えするというならば、主を信頼し、主に喜ばれることだけを追い求める生活を、努力してでも実行する必要があります。
第二に、十分の一返金と色々な献金をささげることです。イエスさまはおっしゃいました。「あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。《マタイ 六・21》」私たちの生まれながらの心は、物質に囚(とら)われます。神さまにお仕えする代わりに、物質に囚われて、献金を怠るなら、本当に神さまにお仕えしているとは言えません。主を信頼しているかどうかを量るものが、十分の一返金です。私たちの持っているものの十分の一は、神さまのものです。ですからキリスト者が十分の一返金を主におささげすることは、神さまにお仕えしているという証拠になるのです。
第三に、イエスさまを伝えることと、隣人を助ける働き(救済事業)を行うことです。イエスさまを伝えることは、キリスト者の一番大切な働きです。私たちがイエスさまを伝えず、また隣人を助けないなら、神さまにお仕えしているとは言えません。神さまの恵みを頂いた私たちには、世界中の人々に、主の愛を伝える使命が与えられています。また神さまの愛を頂いているのですから、貧しい隣人を助ける務めも与えられています。
第四に、義なる生活、聖い生活をすることです。霊的にも、肉体的にも、不健全な生活をしているのに、私は神さまにお仕えしていると言うなら、それは偽善です。二心です。主は、「あなたがたは自分の身を聖別して、聖なる者とならなければならない。わたしが聖だからである《レビ 十一・44》」と言われます。私たちが聖い生活を追い求める時、主は喜んで受け入れてくださり、私たちを祝福してくださるのです。
私たちが神さまの恵みに応答する生活をすれば、私たちの心は喜びに満たされ、幸せになります。しかしその恵みを拒み、不平をつぶやきながら生きて行くなら、心の思いは否定的になり、不幸になってしまいます。ですから私たちはいつも、神さまの恵みに感謝しながら、恵みに応える生き方を志す必要があるのです。
お祈り:私たちに力を与えてくださり、能力を与えてくださる天のお父さま、感謝します。神さまの愛に応答しない生活をしたことが度々ありました。赦してください。これからは、主の恵みにお応えしながら生きる、私と家族となるようにしてください。この世の中のものを追い求める生き方をしないよう、助けてください。永遠に価値あるものを追い求める生き方が、できるようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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