6月27日 熱心に求める者たち

あなたがたのうちのだれが、自分の子がパンを求めているのに石を与えるでしょうか。魚を求めているのに、蛇を与えるでしょうか。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っているのです。それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。《マタイの福音書 七・9~11》

天のお父さまは義なるお方ですから、罪や不義、正しくないことを必ず裁かれます。そしてまた、天のお父さまは、私たちの善き父となってくださり、私たちに善いものを与えてくださり、私たちを楽しませてくださいます。

マタイの福音書 十五章21節~28節》に、カナン人の女に関する記事があります。この女性には、悪霊につかれた娘がいました。娘も苦しみ、母親も苦しみました。そんな時、イエスさまが、自分たちの住んでいる地域にやって来ることを聞きました。とは言っても、自分の住んでいる町からはかなり遠くの町に、イエスさまは来られたのです。母親は遠い道のりを歩いて、イエスさまに会いにやって来ました。そして「娘をいやしてください」とお願いしました。ところが、イエスさまはひとこともお答えになりませんでした。弟子たちはこの様子を見て、女を助けてあげてくださいと願い出ました。その時、イエスさまはおっしゃいました。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません。《十五・24》」 すると、この女の人はイエスさまの前にひれ伏し言いました。「主よ、私をお助け下さい《十五・25》」と、もう一度お願いしました。けれどもイエスさまはおっしゃいました。「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。《十五・26》」 すると、この女の人は言いました。「主よ、そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。《十五・27》」 その時、イエスさまは「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように《十五・28》」とおっしゃいました。この母親の信仰を「立派です」と言って、ほめてくださいました。そしてその時、その娘は直ったのです。

この女の人は、イエスさまを最後まで善い方だと信じました。私たちは、この女の人の信仰から学ぶ必要があります。多くの人は、少しでも苦しいことが起きると、「神さまはどこにいる? 神さまは私を見捨てた!」と言って嘆きます。このような、途中で投げ出してしまう心の態度では、天のお父さまからのお答えを頂くことはできません。主は善いお方です。主は善いことを必ずしてくださると期待しない人は、不信仰に陥る人です。

天のお父さまは、私たちの善いお父さまです。きょうのみことばを、もう一度読んでみてください。多くのクリスチャンは、天のお父さまが善いお方だという事実を忘れ、すぐに主からのお答えがないと、希望を捨てて嘆いてしまいます。善き主は、私たちの祈りにすぐに答えてくださる時もありますが、私たちに忍耐を要求される時もあります。私たちの信仰が成長するようにと、答えてくださらない時もあります。けれども結局、善い主はすべてのことを働かせて、善い事にしてくださいます。私たちが、主は善き神さまであるという揺るがない信仰をもつ時、主は喜ばれます。「私たちは自分たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。《Ⅰヨハネ 四・16》」 主の恵みを信じ、どのような苦しみの中に置かれても、途中であきらめずに祈り続けましょう。たとえ「からし種ほど」の「小さな信仰」でも、主に期待して、「主よ、私をお助けください」と最後まで信じ、願い続けましょう。主は必ず答えてくださいます。

お祈り:私と家族を恵みのつばさで守られる愛の天のお父さま、感謝します。私と家族の罪と不信仰を赦してください。今からは、善い神さまを信じ、賛美しながら、聖く生きて行けるようにしてください。聖霊さま、私と家族の弱さを助けてください。知恵を与えてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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