また、私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。《ピリピ人への手紙 四・19》
天のお父さまのご性質のひとつは、満たすことです。キリスト教は宗教ではありません。倫理や道徳の教えでもありません。キリスト教は宗教を超えています。倫理や道徳をも超えています。私たちが、サタンの王国であるこの世で、罪と死の奴隷とされていた時、天のお父さまはイエス・キリストを送ってくださいました。イエスさまは私たちの身代わりに十字架につけられ、死なれ、そして復活されることで、私たちにいのちを与えてくださいました。
私たちが、イエスさまを救い主として心に迎え入れた時、天のお父さまは罪と悪によって空しくなった私たちの心を、イエスさまの血潮によって洗ってくださり、主の赦しと義と聖さをもって、私たちを満たしてくださいます。
また私たちが病気になり、疲れた体をもってイエスさまの御前に進み出れば、携挙の時に復活の新しい体をくださるだけでなく、今、毎日生活する時も、健康をもって満たしてくださいます。「まことに、彼(イエス)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。…その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。《イザヤ 五十三・4~5》」 「主は、あなたのすべての答を赦し、あなたのすべての病を癒やし《詩篇 百三・3》」と書かれている通りです。
主は十字架につけられ、呪いを受けられることで、私たちをすべての呪いから解放させ、アブラハムの祝福をもって満たしてくださいました。
主は、また永遠のいのちをもって、私たちを満たしてくださいました。「そして、人間には、一度死ぬことと、死後にさばきを安けることが定まっているように《ヘブル九・27》」と書かれていますが、人はみな一度死にます。また、人はみな死んだ後に必ず裁きを受けます。イエスさまを信じない人は、白い御座に着座なさっている天のお父さまの裁きを受けます《黙示録 二十・11~15》。そして、火と硫黄(いおう)が燃える池に落とされ、永遠に苦しみます。このような裁きを人が受けることがないよう、死を持たないイエスさまが死なれ、ハデスに行かれたのです。そして死から復活されることで、死とハデスを滅ぼし、永遠のいのちを人に与え、そのいのちで人を満たして下さるのです。この地上に生きている間、イエスさまを信じるなら、この白い御座の裁きを受けることは決してありません。
一方、イエスさまを信じた人は、イエス・キリストの裁きを受けます《Ⅱコリント 五・10》。それは裁かれるためではなく、報いを受けるためです。地上でイエスさまを愛し、イエスさまに従うがゆえに成したすべての行いの報いを受けるためです。私たちはみな、霊・魂・肉体のすべてがキリストの姿に似た者とされ、イエスさまと同じ栄光の復活の肉体を着て、イエスさまが建ててくださった永遠の家に入り、涙も、悩みも、嘆きもなく、病気も、死も、別れもなく、永遠に主と共に生きられるようになるのです。
きょうのみことばに書かれているように、神さまは「満たす」ご性質を持っておられるのです。ですから、まず神の国とその義とを求めることが、私たちがすべきことです。信仰の種を蒔きましょう。イエスさまに、私たちの信仰を見せましょう。主は必ず私たちの必要のすべてを満たしてくださいます。
お祈り:満たして下さる天のお父さま、感謝と賛美をおささげします。私と家族が、否定的な思いをもって生きて来たことを赦してください。私たちを満たしてくださる天のお父さまに期待し、主を信頼して生きる私と家族となるようにしてください。家族に力と愛を与えてください。主が満たしてくださったものを、隣人に分け与えられるようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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