6月29日 永遠の喜び

あなたは私に、いのちの道を、知らせてくださいます。満ち足りた喜びが、あなたの御前にあり、楽しみがあなたの右に、とこしえにあります。《詩篇 十六・11》

喜びは、私たちが生きていくための原動力です。喜びを失った人は、なぜ生きるのかという意味と価値を見失います。世の人には本当の喜びがありません。ですから、喜びを得ようと、快楽や権力と富、有名な人になることや華やかな暮らしすることを、必死に追い求めています。けれども、そのようなことはみな、空しいのです。権力やお金やこの世の楽しみから得る喜びは、一時的なものだからです。生きる意味と価値ではないのです。

では、私たちにとって、確実で、永遠に変わることのない喜びは何でしょうか。

天のお父さまは喜びの源です。喜びそのもののお方です。ダビデ王は、きょうのみことばを記しました。「あなたは私に、いのちの道を、知らせてくださいます。満ち足りた喜びが、あなたの御前にあり、楽しみがあなたの右に、とこしえにあります。」天のお父さまに祈り、賛美し、感謝し、みことばを読み、主と交わる人は、ことばで言い表わせないほどの喜びを持つようになります。

天のお父さまと交わらない人は、決して真の喜びを得ることができません。アダムとエバが主なる神さまに逆らいエデンから追い出された時、神さまと人との間には、罪と悪という壁ができました。その時から、人は喜びを失いました。悲しみと絶望の中で、苦しむようになったのです。喜びを失ったアダムの最初の息子カインは、自分の弟を石で打ち殺しました。みなさん、今、人々が互いに殺し合う理由は何でしょうか。家庭が破壊される理由は何でしょうか。人々が喜びを失っているからです。心が憎しみと恨みに囚われているからです。

人が本当の幸せを感じて生きて行くためには、喜びの根源である天のお父さまを心に迎えて、お父さまと交わることが最も重要なことなのです。これが人間にとって根本的な問題解決の鍵です。喜びのある母親は、家庭がどのような苦しみの中に置かれても、それに打ち勝ちます。喜びのある父親は、信念をもっていろいろなことに打ち勝ちます。喜びのある子どもたちは、すべての問題を乗り越えて、人生の勝利に向かって進んで行きます。人は、他の何を置いても先ず、天のお父さまと交わり、お父さまからの喜びを頂く必要があるのです。

私たちがイエス・キリストによって神の子となれば、神さまと和解する恵みを頂きます。そればかりでなく、その結果、あふれる喜びを持つようになるのです。この喜びを持った人は、どのような苦しみや問題にぶつかっても、あきらめることなく、前を見て、力強く進むことができます。この喜びを体験したパウロは「最後に、私の兄弟たち、主にあって喜びなさい。私は、また同じことをいくつか書きますが、これは私にとって面倒なことではなく、あなたがたの安全のためにもなります《ピリピ 三・1》」と告白しました。

神さまが下さる喜びは、私たちの霊を完全にします。キリスト教は宗教ではありません。いのちそのものです。私たちは、イエスさまと出会ったことによって救われ、イエスさまと共に生き、霊の中にあふれる喜びを体験し、この地上でどんな苦しみや問題にも立ち向かい、勝利の人生を生きるため、主にお仕えしている者とされているのです。

お祈り:私と家族に永遠の喜びをくださる天のお父さま、感謝と賛美をおささげします。私と家族が、世の中の快楽から喜びを得ようとしていたことを赦してください。これからは、主にもっともっと近づくことから来る喜びを得る、私と家族となるようにしてください。みことばを読み、祈ります。聖霊さま、私と家族を満たしてください。隣人を愛することによって、もっと大きい喜びを得るようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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