7月2日 へりくだった心で祈ろう!

神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える。《ヤコブの手紙 四・6》

高ぶった思いは、心の中に毒を入れます。きょうのみことばに書かれているように、天のお父さまは、へりくだった者に恵みをお与えになります。神の御子であるイエスさまは、私たちにへりくだることの見本を見せてくださいました。イエスさまは、人となってこの地に来られ、へりくだった生涯を送られました。このことが、今の私たちに何を教えているのか、共に調べてみましょう。

第一に、イエスさまは貧しくなられました。イエスさまは馬小屋で生まれました。人々から顧みられることのない、みすぼらしい馬小屋でお生まれになったのです。イエスさまは、もともと富んでおられるお方です。宇宙のすべて、地球のすべてを支配しておられる、神の御子です。イエスさまが貧しくなられたのは、私たちを富ませるためでした。

第二に、イエスさまは地上の両親であるヨセフとマリアを尊敬しました。両親に従順し、両親のために身を献げました。神の定めた時が来て、ご自分が神の子であることを宣言なさる公生涯に入る直前まで、親を助け、ヨセフの仕事である大工の働きを引き継ぎ、大工の仕事をなさいました。イエスさまのように、私たちも親に従い、親に従うことが求められています。

第三に、イエスさまは身分の低い人たちと喜んで交わりを持ちました。イエスさまは、当時のユダヤ社会から嫌われている人たちと交わりました。収税人や罪人の友となられました。そして収税人や罪人の友と呼ばれました。彼らと一緒に食事も食べました。イエスさまは、罪深い女がご自分の足に油を注ぐことも喜ばれました。主の弟子たちも身分の低い者でした。けれどもイエスさまは、これらの人たちに、天の驚くべき秘密を解き明かされたのです。

最後に、私たちはまた、ゲツセマネの園でのイエスさまのへりくだった祈りを知る必要があります。イエスさまは十字架につけられることを目前にし、ゲツセマネの園に行き、祈られました。イエスさまは、できるならば十字架に釘づけられ、天のお父さまから見捨てられ、交わりが断たれ、呪われた者となることを避けたいと思われたのです。けれども、それがお父さまの御心と知った時、それに従われました。このことは、イエスさまが霊的にへりくだっていることを、私たちに見せています。十字架刑の死が目前に迫っているにもかかわらず、イエスさまがお父さまの御心に喜んで従ったのは、お父さまに対して絶対に従うと決心した心の表れです。これが真のへりくだった心です。このようにイエスさまは「仕えられるためではなく、仕えるために来られた方」でした。

主は、「この世で本当に偉大な者は、みなに仕える者である」と言われました。私たちは、主のへりくだりの心と仕える心を、学ばなければなりません。そうする時、神さまの驚くべき働き、奇跡が私たちの生涯に現われるのです。

お祈り:へりくだった者に恵みを与えてくださる天のお父さま、感謝します。私と家族は高ぶり、お父さまの恵みを忘れて生きていた時がありました。赦してください。へりくだった心を持つことができるようにしてください。イエスさまの柔和とへりくだりの心を学ぶようにしてくださり、隣人に仕える私と家族になれるようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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