目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。雄々しく、強くありなさい。一切のことを、愛をもって行いなさい。《コリント人への手紙 第一 十六・13~14》
使徒パウロは、コリント教会のキリスト者に書いた手紙の最後で、三つのことを勧めています。
第一に、目を覚ましていることです。今は、国も個人も、目を覚ましていなければ、知らず知らずのうちに滅びの道へと誘い込まれてしまうような時代です。目を覚ましているとは、関心と注意を払っていることです。ここでは特に、霊的に目覚めることを意味します。使徒ペテロも警告しています。「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。《Ⅰペテロ 五・8》」暗やみが深くなればなるほど、目を覚ましている必要があります。今、私たちが生きているこの世は、どんなに深い誘惑という流れが、まるで洪水のように押し寄せている時代です。そのことを心に留めておく必要があります。「吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っている」悪魔は、私たちの生活のすべての領域において、誘惑して来ています。悪魔は策略をめぐらして、何とかして私たちがこの世の教えに従って、何もしないで気楽に暮らし、自己中心に生きるようにさせています。しかし目を覚ましているキリスト者は、そのような誘惑に打ち勝つことができます。この険しい時代に、私たちが生きていく力と勇気をくださった主に感謝しながら、主の手を握り、一歩ずつ前進するのです。
第二は、堅く信仰に立つことです。私たちは、多くの危険と苦しみや誘惑に囲まれて生活しています。この世の価値観で生き、何もしないで気楽に暮らし、自分の望むままに生活するという誘惑ほど、危険で恐ろしいことはありません。多くの人は悪魔に惑わされ、そのように生きています。世の中の人々が生きているように生きることは悪くないとか、「だって、みんながやっていることだから」とか言って、自分を正当化することほど、危ない考えはありません。私たちの主は、そのような考えから、主に立ち返りなさいと言われました。「悔い改めなさい」とは、「立ち返りなさい」という意味です。立ち返って生きる生活こそが、神の御国での生活です。神の御国の生活の最も重要な教えは「一切のことを、愛をもって行いなさい」ということです。キリストの愛により、私たちは救われました。そのキリストを見習い、私たちが愛を行う時、それは大きな信仰の働きとなります。愛は具体的です。犠牲も払います。自分が損をすることもあります。苦しむこともあります。具体的な愛の実践を、私たちの生活の目標にしましょう。
第三は、雄々しく、強くあることです。キリスト者の生活は、一方で慎み深い考え方をします。しかし一方で、主を信頼して、大胆に、勇敢に、雄々しく生きるのです。この世に打ち勝ったイエス・キリストを信頼して、私たちはこの世のすべての暗みの力に打ち勝ち、主の光の中を、愛の中を歩むことができるのです。
お祈り:私たちといつも共におられる天のお父さま、感謝します。このように暗い時代に、目を覚まして祈る私と家族となれるようにしてください。健全な信仰を持つようにしてください。家族どうし互いに愛し合えるようにしてください。私と家族に、この時代を見分ける力を与えてください。正しい信仰を守ることができるようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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