金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。《使徒の働き 三・6》
アダムとエバが父なる神に反逆した後、この世界には罪と悪、憎しみと病、呪いが満ちてしまいました。人が病み、家庭が病み、社会全体が病むようになりました。けれども、聖書の《使徒の働き 二章》に書かれている通り、五旬節の日に聖霊さまが来られてからは、どんな人でもキリストを信じ、心にお迎えするなら、イエスさまの御名によって遣わされた聖霊さまが与えられます。ですから、聖霊さまを認め、聖霊さまを歓迎すれば、聖霊さまはその人のところに来られて、いやしの働きをなさってくださるのです。
《使徒の働き 三章》には、毎日の午後3時の祈りの時間になるので、祈るため、ペテロとヨハネがエルサレム神殿に行きました。その時、神殿の美しの門の前に座っていたひとりの足の不自由な男性が、ペテロとヨハネにお金を求めました。聖霊に満たされたペテロは「私たちを見なさい《同 三・4》」と言いました。男は、ペテロから何かをもらえると思い、二人を見上げました。しかし、ペテロは意外なことを言ったのです。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言ったのです。そして、ペテロが「彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、躍り上がって立ち、歩き出した《同 三・7~8》」のです。
また、《使徒の働き 八章》には、ピリポがサマリアで、人々にキリストを宣べ伝えると、聖霊さまによっていやしの働きが起こりました。「汚れた霊につかれた多くの人たちから、その霊が大声で叫びながら出て行き、中風の人や足の不自由な人が数多く癒やされたからである。その町には、大きな喜びがあった《同 八・7~8》」と記されています。
今日、多くの人の霊的な足が不自由です。生活の中で苦しみや困難に立ち向かって、聖霊さまと一緒に歩くことができません。悪霊のえじきになっています。けれども、いやしの霊として来られた聖霊さまは、ペテロやピリポを通して、悪霊に苦しめられている人、病んでいる人をいやしたように、今日も私たちの霊、魂(心)、肉体、そして生活をいやし、私たちが新しいいのちを得ることを願っていらっしゃいます。「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます《マルコ 十六・17~18》」という約束のみことばが与えられています。これは、助け主、聖霊さまが来られ、みことばを成就するために奇跡を行ってくださるということです。私たちがこのみことばを信じる時、聖霊さまはこのみことばを通して、私たちに奇跡を行ってくださいます。五旬節の日に、いやしの霊として臨まれた聖霊さまは、ペテロやピリポのいた頃の初代教会の時代にだけ、いやしの働きをされるのではなく、今日も私たちの中で働いて下さり、私たちの霊、魂(心)、肉体、そして生活をいやしてくださいます。
お祈り:愛といやしの天のお父さま、感謝と賛美をおささげします。私は罪人です。私の罪を赦してください。私の霊、魂(心)、肉体、そして私の生活は病んでいます。私の家庭は病んでいます。いやしの神さま、この病をいやしてくださり、新しくしてください。そして神さまと隣人のために、この身を献げながら生きるようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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