7月8日 高ぶりは信仰のさび

高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。《箴言 十六・18》

誰でも高ぶれば、主の恵みから落ちます。人が自分を過大評価すれば、敵サタンの罠に落ちてしまいます。聖書に書かれている信仰の失敗者たちは、みな高慢な人でした。高慢は、私たちの主に対する愛と純真な心を、みじめなほど破壊します。高慢な人は、自分の人生を自分で破滅させるだけでなく、他の人の人生にも悪い影響を及ぼします。

“身の程知らず”という言葉があります。人には皆、与えられた“身の程”があります。人がこの“身の程”を超えて、自我を出して、自分を主張して、自分の欲望を実現させようとすれば、破滅してしまいます。ですから貪欲や欲望は、信仰を腐らせる恐ろしい錆(さび)のようなものです。私たちの先祖、最初のアダムは貪欲を持つことで、信仰を失い、エデンの園を追い出されてしまいました。そして、その子孫である人間は、貪欲の奴隷となり、むなしい物を追い求めながら、滅びる存在になってしまいました。

しかし、「最後のアダム」であるイエス・キリストは、この“身の程”を守りました。イエスさまは決して、貪欲に落ちなかったのです。悪魔がやって来て、荒野でイエスさまを試みました。悪魔はイエスさまに「石をパンに変えなさい」と言いました。イエスさまには、その力はありましたが、石をパンには変えませんでした。イエスさまは、物質より神さまのみことばの方が、はるかに尊いということを知っていました。イエスさまは、「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある《マタイ 四・4》」と言われ、悪魔を退けました。悪魔はまた、イエスさまを神殿の一番高い所に立たせて、「ここから身を投げて見なさい」と言いました。それでも体が傷つかなかったら、人々はあなたを救い主だと認めるでしょう、という誘惑でした。しかしイエスさまは、「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある《同 四・7》」というみことばで、悪魔を退けました。悪魔は最後に、「私をひれ伏して拝むなら、世のすべての国々とその栄華を与える」と言いました。貪欲になりなさいということです。しかしイエスさまは、「『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある《同 四・10》」と言われ、悪魔を退けました。イエスさまは、天のお父さまの御心通りに生きたお方でした。悪魔は、イエスさまを誘惑することができませんでした。イエスさまに敗北したのです。

私たちも、信仰の“身の程”、生活の“身の程”を守らなければなりません。そうすれば、信仰を堅く守って行くことができます。「神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい《ローマ 十二・3》」と書かれている通りです。私たちは自分に与えられている信仰を知り、それに応じた生活をしなければなりません。自分の身の程を知らず、貪欲を持つ人生は、必ず崩れ去ります。

お祈り:へりくだる者に恵みをくださる天のお父さま、感謝します。今の社会の混乱と苦しみが、人間の高ぶりから始まったことを告白します。私の罪を告白します。赦してください。私と家族が主の御前にへりくだり、聖い生活を送るようにしてください。私と家族に聖霊の力を与えてください。また、今の時を見分ける知恵をください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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