わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。《ヨハネの福音書 十四・27》
どんな苦しみや問題でも、人間の力だけで解決しようとすれば、苦しみや悩みは更に増します。人には本当に多くの問題があります。対人関係の問題、兄弟、友人、同級生、親子、夫婦などの人間関係の問題、勉強や学校の問題を始め、家庭の問題、地域の問題、社会の問題、国家の問題など、人間は数多い問題や苦しみから逃れることはできません。
このような問題と苦しみの重荷を背負って生きて行く存在が、人間だと言えるでしょう。人間は、このような重荷を負って苦しみます。人に希望はないのでしょうか。いいえ、希望はあります。イエスさまはおっしゃいます。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。《マタイ 十一・28》」 また、「あなたの重荷を【主】にゆだねよ。主が、あなたを支えてくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない《詩篇 五十五・22》」という約束のみことばがあります。
多くのクリスチャンが、神さまを信じると言いながらも、すべてを主にゆだることができないために、苦しんでいます。私たちが重荷を主にゆだねた時に与えられる証拠は、何でしょうか。それは、心に与えられる平安です。重荷を主にゆだねると、心の内に平安が川のようにあふれ流れ出ます。悩みと心配自体は、頭の中に知識として残っていますが、心は平安で満ちあふれるのです。
私たちが毎日生きる時、聖霊さまの手を握って、聖霊さまと共に歩むことが、本当の幸いなのです。私たちが聖霊さまの手を取る時、恐れはなくなり、平安があふれます。私たちが主の下さる平安を受けたいならば、先ず悔い改めることです。すべての罪と悪をイエスさまの血潮で洗って頂き、悔い改めにふさわしい生活をすることが求められます。貪欲や欲望を捨て、へりくだりましょう。その時、神さまの祝福が、心に与えられる平安と共に私たちに与えられます。神さまの平安を心に持つ人は、毎日の生活でイライラすることがありません。足取りも軽く、眠りも安らかです。日々新しい希望が生まれ、苦しみの波も恐れないようになります。そして結果的には、魂に幸いを得ているように、すべての点でも幸いを得、また健康になります。このような人が、真に幸せな人です。このような人は、決してねたむことがありません。その反対に、富・お金・華々しい生活・名声・権力を所有しながらも、心に平安のないまま生きている人を憐れみます。世の中の価値観や生き方を追い求めてうろたえる人々を、愚かな人のように見、かわいそうに思います。平安を持つ人は、この世の価値観を追い求めず、永遠の価値覿・主イエスさまの価値観を追い求めます。また、主の勝利の右の手にすべてをゆだねて、力強く天の御国に向かって進みます。イエスさまはおっしゃいます。「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。《ヨハネ 十六・33》」
お祈り:全能なる天のお父さま、感謝します。私は平安を失ったことが、度々ありました。主よ、私と家族に平安をください。私と家族の重荷を、すべてゆだねます。主の御手に納めてくださり、すべてを管理してください。主のみこころに従って生きることを願います。私と家族を導いてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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