7月14日 恵みにより、信仰によって

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。《エペソ人への手紙 二・8》

今、人々は毎日の生活で、恵みにより、信仰によって生きることをなかなか受け取ることができません。人々はあまりにも長い間、律法主義で生きて来ているので、何とか自分の力や行いによって義を得よう、聖くなろう、愛の人になろう、いのちを得ようとしています。そして自分の力や行いによって、問題を解決しようとしています。けれども私たちは、「自分の力により、行いによる」という悲劇から救われる必要があります。恵みにより、信仰によって生きることを、毎日経験しましょう。そのためには、どうすれば良いでしょうか。

恵みにより、信仰によって生きるためには、何よりも先ず、「恵み」の意味をはっきりと知る必要があります。恵みとは、神さまが私たちのために働いてくださることです。神さまが私たちにプレゼントを用意してくださることです。私たちは、そのプレゼントを、ただでお受けすれば良いのです。これが信仰です。家庭においても、父親が子どもたちのために準備し、子どもたちはそれをただで受け取っているのと同じです。私たちは、この恵みにより、信仰によって生きることを徹底して知り、体験する必要があるのです。聖書は言います。「神は言われます。『恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。』見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。《Ⅱコリント 六・2》」 私たちはこのみことばをはっきりと信頼し、神さまが下さる恵みを無駄にしてはいけません。神さまの恵みを、自分の力や行いによって受け取ろうとしてはなりません。恵みは、人間の努力で得られるものではないのです。恵みは、ただで与えられるプレゼントだからです。ですから私たちは、「恵み」の意味をはっきりと知り、自分中心の考えと、自分だけを満足させる欲望や貪欲を、神さまの御前に投げ捨てましょう。

すると、次のように言う人がいます。「そうなら、何もしないで、ただじっと黙っていなさいということになるのではないですか?」 もちろん、ただじっと黙って待っていなさいという意味ではありません。神さま中心に考え、神さまに喜ばれるように行動し、生活のすべてで最善を尽くしなさいということです。すべてのことを神さまに委ねながら、最善の努力をしなさいという意味です。その時、神さまは仕事の苦しみから解放してくださり、恵みによってささえてくださいます。

恵みは、ただ信仰によって、プレゼントとして受け取るものです。アダムとエバも、神さまが働いて、準備してくださったことを、ただ信仰によって受け取り続けてさえいたなら、後の子孫たちに、今私たちが経験しているよう悲劇的な歴史を残さずに済んだことでしょう。アダムとエバは、自分の力や行いによって生き、貪欲に生きようとした罪による罰の歴史を残してしまいました。

キリスト者は、毎日のすべての重荷を神さまに委ねるのです。いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝することが、委ねることです。祈る時、感謝する時、賛美する時、必ず問題に打ち勝つことができる恵みを体験できます。

お祈り:私と家族を、恵みをもって救ってくださった天のお父さま、感謝します。私と家族は、毎日のすべてのことを神さまに委ねないで、自分の力に頼って生きて来ました。赦してください。これからは主にすべてを委ねます。主がすべてをご支配しておられることを信じ、感謝致します。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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