平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。《エペソ人への手紙 四・2》
この世には、二つの平安があります。
第一は、周りの環境が整うことによって与えられる、人間的な平安です。良い家があり、良い学校があり、良い服を着、良い食べ物を食べれば、平安があるだろうと考えます。もちろん、そのような平安はあります。でも、それは環境によって得ている平安なので、簡単に崩れてしまいます。物がなくなり、良い家を失い、名誉や権力を失えば、その環境が壊れれば、霧のようになくなるのです。
第二は、神によって与えられる平安です。この天から与えられる平安は、イエス・キリストを信じることで、聖霊によって与えられる永遠の平安です。これは、聖霊さまが下さる平安なので、環境がどんなに絶望的に見えても、決してなくなることはありません。
《使徒の働き 六~七章》に書かれているステパノを考えてみてください。ステパノは、イエス・キリストの福音を正しく宣べ伝えたため、ユダヤ人に捕まえられ、石で打たれ、殺されました。彼がユダヤ人たちに捕まえられた時、彼の顔は天使の顔のようでした。また、ステパノの体が石に打たれている時でも、彼の心には平和があふれていました。「しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、『見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます』と言った《使徒の働き七・55~56》』」と書かれています。聖霊に満たされたステパノの心の中には、どんなに平和が満ちあふれていたことでしょうか。石つぶてを受けながらでも、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください《同 七・60》」と祈ることができました。
聖霊さまが私たちに平安を下されば、私たちはどのような環境にいても、心の奥底からあふれ出る平安を体験することができます。これが、イエスさまのおっしゃる、私たちがこの地で体験することのできる「天の御国」なのです。
イエスさまは、十字架を通して私たちを赦される時、私たちの心(霊魂)だけを救ったのではありません。イエスさまはおっしゃいます。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます《マタイ 十一・28》」 イエスさまの救いは、霊も救い、魂も救い、肉体も救うのです。このことを信じ、毎日毎日祈ることで、悩みと心配ごとをイエスさまにゆだねるキリスト者になりましょう。イエスさまは、私たちのことを心配してくださり、永遠に私たちの面倒を見てくださるお方です。
お祈り:私と家族を、愛をもって守ってくださる天のお父さま、感謝します。私と家族は神の平安を与えられることを願います。平安を持とうとしましたが、いつも失敗しました。これからは主だけにお頼りします。私と家族に永遠の平安をください。神さまが私と家族をささえてくださり、日々私と家族を新たに創造してください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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