7月31日 死んだ信仰と生きた信仰

たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は、死んでいるのです。《ヤコブの手紙 二・26》

クリスチャンは光の子です。ですから、罪と悪、不正と不法に対し、自分は立ち向かっているかどうかを調べて見る必要があります。もし罪と悪、不正と不法に流されているようなところがあれば、悔い改めなければなりません。光の子である私たちは、イエス・キリストの尊い血潮によって、イエスさまを信じることにより、義とされました。神さまの御前に大胆に近づくことができます。信仰によって頂いている神の義を、私たちは大事にしなければなりません。心の中に神の義がある時、生きる意味がはっきりと分かり、喜びが心の底から湧き上がって来ます。また、家庭の中に神の義がある時、家庭に平和があり、社会に義がある時、地域に和解があり、国家に義がある時、国が栄えます。義がなくなると、個人と家庭と社会と国のいろいろな計画は、うまく回らなくなります。

ですからキリストの弟子である者は、個人的に聖さと神の義を追い求めているかどうかを、調べる必要があります。あらゆる欲望と、あらゆるけがれに引き寄せる情欲が、濁流のように押し寄せているこの世の中で、自分は果たして、妥協せずに立ち向かって戦っているかどうか、勝利しているかを調べてみる必要があります。「世界中がこの世と調子を合わせているのに、私ひとりが苦労して、この世と調子を合わせず、この世の流れに立ち向かう必要があるのか。まあ、適当に妥協して生きよう。」 このように考え、この世のものを追い求める人は、悲劇的な結末を迎えます。

イエスさまは、十字架で、ご自分のいのちを捨てるほど、私たちを愛されました。イエスさまの血潮は、私たちをきよめます。それだけでなく、聖霊さまが、私たちをこの世のけがれから離れさせてくださいます。この世から分離してくださいます。聖霊さまは、喜びにたとえられます。水と油は混ざりません。私たちの中に聖霊さまの喜びの油注ぎがありますから、この罪と悪に満ちたこの世にいても、この世と調子を合わせることはできなくなります。ですから、聖霊さまによって、私たちはきよさを保って生きているかどうかを調べましょう。神さまのことばと戒めから外れた生活を悔い改めましょう。イエスさまの血潮を叫び求めて、きよい考えを持ちましょう。聖書は言います。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。もし罪を犯したことがないと言うなら、私たちは神を偽り者とすることになり、私たちのうちに神のことばはありません。《Ⅰヨハネ 一・9~10》」 この世に生きる人の中で、「罪を犯さない人」は一人もおりません。私たちは思いの中で、言葉で、行動で、罪を犯します。けれども神さまは、私たちが罪を洗い流す機会を下さいました。イエスさまは、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから《マタイ 三・2》」と言われました。悔い改めることができるよう、聖霊さまに求めましょう。心の思いが、聖霊さまによって、イエスさまの聖さと義を追い求めるように求めましょう。みことばを心の思いに蓄えましょう。みことばを思い巡らしましょう。みことばを実践しましょう。主は心をご覧になっています。

お祈り:私と家族を愛と恵みをもって守ってくださる天のお父さま、感謝します。私は御心に従わず、この世のものを追い求めていました。赦してください。私と家族が、この世に出て行き、イエスさまの聖さと義を伝えるようにしてください。そして神の国を広めることができるようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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