【主】は、大洪水のときに御座に着かれた。まことに、【主】は、とこしえに王として御座に着いておられる。《詩篇 二十九・10》
大自然に暴風雨がやって来るように、私たちの生活の中にも、嵐が襲って来ます。イエスさまはおっしゃいました。「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。《ヨハネ十六・33》」 避けることができない嵐や問題、苦しみに対して、私たちが間違った心の姿勢を取るなら、嵐や問題は、私たちを粉々に引き裂くことになるでしょう。けれども、生活の中に襲ってくる嵐や問題、苦しみを、正しい心の姿勢で受け取るなら、それは神さまが祝福に変えてくださいます。
きょうから3回にわたって、生活の中に襲ってくる嵐や問題、苦しみ会った時、私たちが持つべき心の姿勢について学びましょう。そのような嵐に対して、主が何とおっしゃっているか、聖書を調べてみましょう。
まず、きょうのみことばに書かれているように、大洪水が起きると、田畑や私たちの家を押し流してしまいますが、同様に、生活の中に襲ってくる嵐や問題、苦しみという大洪水も、生活のすべてを覆い尽くしてしまい、すべてを滅茶苦茶にしてしまうかのように思えます。私たちは、その荒れ狂っている大洪水を見て、苦しみます。悲しんだり、嘆いたりします。そして、「もうこれでおしまいだ」と泣き叫びます。人々は、嵐や問題、苦しみという大洪水に会うと、その荒れ狂っているかのような様子だけを見つめ、悲鳴を上げ、その下に押さえつけられてしまいます。
大洪水が襲って来た時、その下に押さえつけられて滅びるしかないのでしょうか。いいえ。「【主】は、大洪水のときに御座に着かれた」お方です。神さまは大洪水の上に座っておられるのです。洪水が押し寄せて来る時こそ、洪水と一緒に、主は私たちの生活の中に訪れてくださるのです。問題や苦しみの上に、主は御座を設けておられるのです。ですから、私たちが洪水に飲まれるか、あるいは洪水の上におられる神の御手をつかむか、それは私たちの信仰の姿勢にかかっているのです。
明るい日差しが輝き、すべてが美しく、平安な時に、神さまは、私たちの所に来られるのではありません。私たちが変えられ、私たちの生活が変えられ、隣人が変えられるすばらしい働きをなさる前に、主は大洪水を送られることがあるのです。大洪水は情け容赦なく私たちを襲い、私たちが築いて来たものを破壊します。私たちは絶望します。その時、落ち込んだり、希望を失ったりしたら、洪水の中から抜け出すことはできません。神さまの御業は、どんなことがあっても完成されるのです。ですから、大洪水の時、父なる神さまに叫び求めましょう。患難と苦しみに目を向けるのではなく、天の父なる神さまを仰ぎ見ましょう。主は、すぐ側におられます。洪水の上に御座を設けておられるお方なのです。
お祈り:歴史を導いて来られ、人の生と死を支配しておられる天のお父さま、感謝します。私たちの人生に大洪水が訪れて来た時、決して絶望しないで、洪水の上に座っておられる神さまを賛美し、主を見上げ、信頼する者とならせてください。その時、必ず豊かな勝利を与えてくださいますから感謝致します。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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