9月21日 ヨルダン川の信仰

こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、火の戦車と火の馬が現れ、この二人の間を分け隔て、エリヤは竜巻に乗って天へ上って行った。《列王記 第二 2・11》

《列王記 第二 二章1節~14節》から、弟子のエリシャが師であるエリヤに、聖霊の能力を二倍求めた箇所から、4回に分けて、どのようにしたら私たちも聖霊さまの力に満たされるのか、信仰の4段階について学んでいます。きょうは最後の「ヨルダンの信仰」について学びます。

エリシャはエリヤに従い、4番目の段階としてヨルダン川にやって来ました。川岸に着くとエリヤは、自分の上着を脱いで丸め、その丸めた上着でヨルダン川の水を打ちました。すると川の水はせき止められて、乾いた土が現れ、二人はそこを通って、ヨルダン川を渡ることができたのです。

エリヤとエリシャがヨルダン川を渡った事実は、何を意味しているのでしょうか。ヨルダン川は、エジプトを出たイスラエルの民が、今までの40年間の荒野での旅を後にし、約束の地であるカナンの地に入るため、越えなければならない川でした。イスラエルの民は、神さまを信頼せず、神さまに従わず、40年間荒野をさまよいました。エジプトを出て来た古い世代の者たちは全員、荒野で死に絶えました。神さまは、ヨルダン川をせき止めて、ヨシュアに率いられた新しい世代のイスラエルの民を、無事約束の地カナンに導き入れてくださいました。

このようにしてイスラエルの民がヨルダン川を渡ったことは、バプテスマを表しています。この世での不従順と不信仰をヨルダン川の水ですべて洗い流し、新しく生まれた者となり、カナンの地に入ったことを表しているのです。

それだけではなく、ヨルダン川は「死」を表しています。この世と自分に対して死に、天の御国に希望を置いて生きるということを表しています。イエスさまも働きを始める前に、ヨルダン川でバプテスマをお受けになりました。

神さまに従わず、神さまを信頼しない自分をすべて主に投げ出し、自分の考えや計画も主に明け渡し、自己中心に生きて来た生活を、神さま中心に生きる生活に変える時、始めて「ヨルダン川の信仰」の投階に入ります。そのとき、神さまの恵みを豊かに受けることのできる段階に入るのです。

キリストに従う者が歩む道には、「死」と「復活のいのち」がセットになって存在しています。私たちがキリストの中で死ぬとき、私たちはキリストの中で復活するのです。聖霊さまによって、私たちの生まれながらの人が死ぬとき、キリストと共に新しい人が生きるのです。「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです《ローマ六・4》」と、聖書に書かれている通りです。

このように、エリシャはエリヤに従ってヨルダン川を渡り、奇跡を体験しました。その後、エリヤは竜巻に乗って天に上って行きました。その時、天に帰って行ったエリヤの上着が、空から落ちて来ました。エリヤの着ていた上着を受け取ったエリシャは、エリヤよりも大きな力を神さまから与えられました。エリシャが、天から落ちて来たエリヤの上着でヨルダン川の水を再び打つと、川はせき止められました。エリシャはそこを渡りました。イエスさまのみことばに従い、聖霊さまに満たされることによって、私たちもこのように神さまの大きな奇跡を体験することができるのです。

お祈り:私たちのために恵みを準備してくださり、豊かに与えることを喜ばれる天のお父さま、感謝します。その大きな愛を心から感謝します。私と家族が、神さまのいのちと、神さまの偉大な力を体験することができるように導いてください。そして与えられた恵みを隣人に分かち与えることができるよう、聖霊さま、助けてくださいますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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