10月7日 イエスのもとに来なさい

わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。《ヨハネの福音書 十四・27》

人は誰であろうと、重荷を背負って生きています。旧約聖書に登場するヨブは、「人は生まれると苦しみに会う。火花が上に飛ぶように《ヨブ 五・7》」と嘆きました。なぜでしょうか。それは罪のためです。

人類の初めの人、アダムとエバが、主なる神さまに背き、主の前から離れ去ってしまってから、すべての人は神と敵対した状態で生まれ、地上生涯を歩んでいます。そして、罪の重荷、病の重荷、呪いの重荷、死の重荷を背負って、苦しんでいます。どんなにお金を持っていても、科学が発達しても、世の中が便利になっても、知識が豊かになっても、この重荷から逃れることのできる人は、誰もいません。聖書は言います。悪魔がイエスさまを誘惑したとき、イエスさまに言いました。「このような、国々の権力と栄光をすべてあなたにあげよう。それは私に任されていて、だれでも私が望む人にあげるのだから。だから、もしあなたが私の前にひれ伏すなら、すべてがあなたのものとなる。《ルカ 四・6~7》」 イエスさまは次のように宣言しました。「『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。《同 四・8》」 イエスさまはまた、次のようにおっしゃっています。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか。そのいのちを買い戻すのに、人は何を差し出せばよいのでしょうか。人の子は、やがて父の栄光を帯びて御使いたちとともに来ます。そしてそのときには、それぞれその行いに応じて報います。《マタイ 十六・26~27》」

罪の重荷、病の重荷、呪いの重荷、死の重荷を背負って、苦しみながら、何が永遠に価値ある物なのかが分からず、さまよっている時代に生きているのが、私たち現代人です。私たちがこのような重荷から自由になるには、罪を赦してくださり、心の内に真の平安をくださるイエス・キリストの御前に進み出る以外、方法はありません。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます《マタイ 十一・28》」と、イエスさまはおっしゃっています。イエス・キリストの御前に進み出、主に「これらの重荷、くびきから自由にしてください」と願い求める人は、罪の重荷、病の重荷、呪いの重荷、死の重荷、神との敵対関係の重荷から完全に解放されます。これらの重荷やくびきは、人の力では解放されることはあり得ません。ただ神の恵みによって、イエス・キリストの御名によってだけ、解放されるのです。それにもかかわらず、人は自分の力で、自分の方法で、このくびきから自由になろうと、懸命に空しい努力を続けています。

次のことを覚えておきましょう。自由になろうと、もがけばもがくほど、くびきは人にきつく絡みつくのです。ですから早く神に立ち返り、自分の力ではできないことを認め、神の助けを求めましょう。聖霊さまの力を求めましょう。聖霊さまは必ず働いてくださり、真の自由を与えてくださるのです。「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。《ルカ 四・18~19》」 聖霊さまは、私たちを自由にしてくださり、解放してくださるお方です。

お祈り:永遠に変わることのない愛の神、天のお父さま、感謝します。イエスさまの恵みに期待します。私と家族からくびきと重荷を取り除いてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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