悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。《マタイの福音書 五・4》
第二次世界大戦後、ドイツは国が東西二つに分かれてしまいました。互いの国の兵士が銃をかまえる中で、首都ベルリンにコンクリートの高い壁が築かれました。その壁は、1989年11月9日、突然、市民の手によって崩されました。東西ドイツを分けるシンボルとなっていた壁が、崩れたのです。その一年後、1990年10月3日、ドイツは正式に統一しました。
私たちのお隣の国、韓国はどうでしょうか?今もなお、南北に国が分かれたままです。一万人の家族が、散り散りになっているということです。いまだに、離れ離れになっている悲しみを受け続けています。私たちは、このために悲しみ、韓国のために祈り続ける必要があります。個人的に祝福されることはもちろんですが、国が祝福されることも祈らなければなりません。また、私たち日本人が、第二次大戦中、朝鮮半島で行った罪に対して悲しまなければなりません。
罪は、国と社会と家庭に満ちあふれています。「罪の支払う報酬は、死です。《ローマ 六・23》」罪は、人の心を暗闇の中に閉じ込めます。罪は、私たちの毎日の生活に、突如として暗闇をもたらします。この国や社会や家庭で生活していると、このような罪のごみが、私たちの心には沢山たまります。この罪をいつも告白して、イエスさまの血潮で洗って頂かなければなりません。私たちの罪を赦すため、イエスさまが十字架で聖(きよ)い血潮を流されました。この血潮を信頼して、罪を主の御前に告白し、捨て去る人は、赦される喜びを受けることができます。主は言われます。「さあ、来たれ。論じ合おう。──【主】は言われる──たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。《イザヤ 一・18》」 宇宙の絶対者、主権者である天の父なる神さまの御前で、罪のために悲しむ人は、永遠の慰めを見出し、救われます。
また、私たちは、自分自身の性格の欠点を悲しまなければなりません。人は、自分の性格の欠点が何であるか、ある程度は分かっています。そしてその欠点のために自分の生活が台無しになったり、隣人を苦しめたりしていることも、少しは分かってはいます。それでも、その欠点を改善しようとしないのは、自分自身の欠点を悲しまないで、ごまかしているからです。
自分自身の性格を見つめましょう。その欠点に、聖霊さまのお働きを期待しましょう。聖霊さまが働いてくださるとき、その欠点はいやされます。特に、自分自身の悪い習慣や、自分でコントロールすることができない欲望を悲しみましょう。そこに聖霊さまが働いてくださるように祈り求め、主の御力によって変えて頂きましょう。
悲しむ人、悲しむ社会、悲しむ国は、決して滅びることはありません。このように信仰によって行動する人は、必ず神さまの導きによって、新しい道が開かれるのです。「【主】は、心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる《詩篇三十四・18》」のです。
お祈り:祝福の源であられる天のお父さま、感謝します。私の犯した数え切れない罪を一つひとつ、主の御前に告白致しします。どうぞ私の緋のように赤い罪も、紅のように真っ赤な罪も、雪のように白く、白く清めてください。私たち日本が犯している罪を赦してください。どうぞ、日本を深く憐れんでください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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