彼女は言った「誰もいません。」そこでイエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」《ヨハネの福音書 八・11》
神の与えた律法、聖書の戒(いまし)めは、「あなたは有罪です」と、人を罪に定めます。そして「有罪の者は、刑を受けなければならない」と裁きます。また、私たちの国や社会にある法律や道徳、家庭での約束事も、人を罪に定め、裁きます。けれども聖書は、私たちに救い主イエス・キリストを示し、この方によって無条件で救われますと語ります。
私たちは今、過去のどの時代よりも、「規則、規則」と、規則の締め付けの厳しい時代に生きています。国や社会や学校や家庭を、規則によってコントロールしなければならないほど、世の中が荒れているという証拠です。けれども、完全な人は誰ひとりいません。人は皆、罪人だということを覚えておく必要があります。
きょうのみことばには、三種類の人が登場します。イエスさまに挑戦し、人間のきまり、規則によって人を罪に定めようとする人たちが、一番目の人たちです。また、その人たちに利用された女性が、第二番目の人です。そして、その挑戦をみことばによって退け、この女性を救ったイエスさまが、三番目の人です。
イエスさまに挑戦し、人間のきまり、規則によって人を罪に定めようとする人たちとは、律法学者、パリサイ人たちです。彼らは、聖書よりも自分たちが守っている「言い伝え(人間の規則)」に熱心な人たちです。イエスさまは、「言い伝え(人間の規則)」を否定して、人間の都合で作り出した規則にではなく、神のみことばに従いなさいとおっしゃっていました。律法学者やパリサイ人は、「ではイエスさま、みことばの通りにして頂こうではありませんか。姦淫というふしだらな行為の現場で捕らえられた者は、石で打ち殺されなければならない、と聖書に書いてあります。この女はそのような者です」と叫んで、イエスさまに挑戦する心の態度で、その女性を連れて来たのです。イエスさまは、答えて言われました。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい《同 八・7》」 旧約聖書には、その悪い行いをその場で見た証人、しかも自分も同じ罪を犯していない証人から石を投げ、その人を民の中から除きなさいと書いてあります。イエスさまは聖書に書かれている通りに行ったのです。すると女性の前から律法学者、パリサイ人たちの全員が、その場から立ち去りました。そしてイエスさまだけが残ったのです。イエスさま以外の者がみな、姦淫の罪を犯していたのです。イエスさまは、連れて来られた女性をいつくしみの目をもってご覧になり、おっしゃいました。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」
「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。《同 三・17》」 イエスさまは、どのような罪でも、みな赦してくださり、罪から救ってくださいます。イエスさまは、人が罪から解放されるため、また呪いや病や死から解放されるため、十字架にかかられたのです。十字架は、罪人を憐れみ、赦すためにあります。
今の現代は、今までのどの時代よりも、憐れみと赦しが必要な時代です。人の規則やきまりも守る必要がありますが、神のみことば、そしてイエスさまのみことばを、まず第一とし、守り、従って参りましょう。
お祈り : 私たちの王であられ、愛と正義をもって私たちを治めてくださる天のお父さま、感謝します。永遠の滅びに定められていた私たちを憐れみ、赦し、永遠のいのちを与えてくださったイエスさま、私もイエスさまのように隣人を憐れみ、赦すことができる者としてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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