このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。《ペテロの手紙 第二 三・11~12》
今、私たちが生きている時代は、聖書に書かれている「世界の終わりのきざし」が、はっきりと現れている時代です。世界中のいろいろな所で、戦争やききんや地震が起きています。また、そのような中で、人と人が和解したり、家庭と家庭が和解したり、民族と民族が和解したりと、和解ムードがただよっていることも事実です。聖書が言う通り、いのちを脅(おびや)かすような「不安な事」と、主が与えて下さる和解という「平安な事」が、同時に発生している時代です。
今は、何が永遠に続くものなのか、永遠に変わらないものなのかが、分からない不安定な時代だからこそ、私たちキリストに従う者は、いつでも、神さまの御前に堂々と出られるような生活を心がけなければなりません。「わたしの義人は信仰によって生きる《ヘブル 十・38》」のです。人は皆、生まれた時から罪人です。罪を犯すので、私たちは「神からの栄誉を受けることができません。《ローマ 三・23》」 このような人間が、神さまの御前に堂々と出られる資格を得て、天のお父さまに信頼して毎日生きるために、毎日イエスさまの血潮を信頼して、その罪を赦して頂き、心を洗って頂かなければなりません。空気や水が汚染されるように、人の心(霊や魂)も罪によって、汚染されます。
今、若者も社会人も、家庭も学校も、社会も国も、罪で満ち、不法で満ち、けがれで満ちています。このような時だからこそ、イエス・キリストを通して与えられた神さまの御前に堂々と出られる資格を、さらに本物としてゆきましょう。神さまから責められる所が、一つもないほどの者として頂きましょう。もし、罪と手を結ぶならば、罪の毒が心をマヒさせてしまいます。
「イエスさまを信じます」と言っている人でも、「主よ、主よ」と言うだけで、その人の生活は信じる前と何も変わっていない人が大勢います。聖書は警告します。「わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。《マタイ 七・21》」 神さまの御心は、私たちが聖(きよ)くなることです。「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」と書いてあるからです。《Ⅰペテロ 一・16》」
罪を離れず、不法を行い、けがれの中にある人や家庭は、荒れ果てます。その次に来るのは、滅びです。罪の支払う報酬は、死です。今、人々は罪が満ちあふれていることに対して、余りにも無関心です。油断していると、家庭の中にもどんどん罪が入って来て、子どもたちも、どんどん堕落していきます。世界の終わりを迎えている今、いつも目を覚ましていなければなりません。真の平安と喜びは、神の御前に堂々と出られる資格である神の義と聖から生まれるのです。
お祈り:愛であられる天のお父さま、感謝します。この世界にあふれている罪とけがれに立ち向かって生きるためには、聖霊さまの助けがどうしても必要です。弱い私を助けてください。十字架の血潮で洗い清めてください。聖霊さまの油を注いでください。世の光、地の塩とさせてくださいますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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