10月14日 もう一人の助け主の聖霊さま

わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。《ヨハネの福音書 十四・18》

この世界は、競争社会です。その中で、私たちは多くの傷を受けます。学校で、会社で、バイト先で、家庭で、その他ありとあらゆる生活の場で、私たちは数え切れないほど傷つけられています。そんな時、家族や親友から慰められると、勇気と力が湧いて来ます。けれども、人から受ける慰めでも、どうにもならないほどの深い傷があります。どうしても慰められない傷が、人の心にはあるものです。そんな時は、イエス・キリストだけがその悲しみを理解してくださり、私たちに新しいいのちを与えてくださるのです。

イエスさまは、人としてこの世に来られたとき、弟子たちを愛し、弟子たちを守る方となり、慰める方となってくださいました。そして天に帰って行かれる前、次のようにおっしゃいました。「わたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。《ヨハネ 十四・16》」 「もう一人の助け主」は、私たちを助けてくださるために、私たちのそばに遣わされたお方です。

イエスさまは、慰めてくださる方です。罪人を赦し、慰め、悪魔に苦しめられている人々を自由にし、いやしてくださり、希望を失って落ち込んでいる人々に、希望を与えてくださいました。そして天に昇り、神の右の座に着かれると、イエスさまと同じお方、つまり「もう一人の助け主」である聖霊さまを送ってくださいました。聖霊さまは、今も、傷つき、悩んでいる人を慰めておられます。初代教会のときも、キリスト者たちは命を奪われるような苦しみに会っても、決して希望を失わずに、キリストを信頼する思いを守り通しました。ステパノは石で打たれても尚、自分を殺そうとしている者のために祝福を祈り求めました。ステパノは聖霊さまから深く慰められていたのです。パウロやシラスも、ピリピ地方で福音を伝えたため、鞭打たれ、牢屋に入れられました。けれども、聖霊さまから直接慰めを受け、牢屋の中で主を賛美したのです。

天のお父さまは、このように傷ついた人を慰め、救ってくださるのです。神は、慰めの神です。「気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことで私たちを慰めてくださいました。《Ⅱコリント 七・6》」 気落ちした者をも慰めてくださるのです。「あなたがたの心を慰め、強めて、あらゆる良いわざとことばに進ませてくださいますように。《Ⅱテサロニケ 二・17》」 だれでも、どんな傷を受けていても、天のお父さまの前に進み出れば、私たちの知識では考えられない慰めを受けます。慰めの泉は神の恵み中にあります。神は「傷んだ葦(あし)を折ることもなく、くすぶる灯芯(とうしん)を消すこともなく、真実をもって裁きを執り行う《イザヤ 四十二・3》」お方なのです。

お祈り:傷んだ葦(あし)を折ることもなく、くすぶる灯芯(とうしん)を消すこともなさらない天のお父さま、感謝します。私はこの世で生きていくうちに、数え切れない色々な傷を受けます。どうか憐れんでください。御手を置いてくださり、聖霊さまの御力によって、すべての傷をいやしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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